9月1 錯覚や幻覚も立派な認識である Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 一瞬見た奇妙なものを錯覚、それよりは長いが、やはり、あり得ないものを幻覚と言うのだが、いずれにしろ、それらは否定され、見なかったも同然の扱いを受ける。 だが、人は感覚器官のみで認識する機械のようなものではない。 感覚器官が捉えた光や音の波動を、意識が再構築して認識するのだ。 錯覚や幻覚も、立派な認識であり、まぎれもない現実なのである。 言い換えれば、あらゆる認識が錯覚であり幻覚なのだと言えるのである。 夢は幻のようなものと思われている。 だが、一切は幻である。 幻は立派な現実なのである。 そして、幻でない現実はないし、現実でない幻もないのだ。 だから、夢は現実であり、現実は夢なのである。 ある食べ物を食べて、美味しいと思った時、その食べ物が美味しいことを現実だと思う。 だが、しばらくして、その食べ物