霞が関の省庁間の権益争いに加え、更に深刻な事態を招いたのが、「政治主導」の名のもとに強行された“官邸改革”である。 それを決定付けたのが、1997年当時の橋本龍太郎内閣の肝いりでスタートした行政改革会議で、官邸の危機管理強化策として内閣に危機管理専門官の新設を提言、翌98年に官房副長官に準ずるポストとして、「内閣危機管理監」という名称で置かれることが決定した。 まともな「国家の意思決定」ができない日本 これは、橋本首相お気に入りの國松孝次警察庁長官(61年)の起用を想定したものだったが、本来は、中央官庁を束ねる事務の官房副長官にリーダーシップがあれば、事足りる問題であった。それ故、警察庁も官房副長官に屋上屋を架するものであると、危機管理監の設置には当初から否定的であった。(そして危機管理ポストは今や、北朝鮮ミサイル、尖閣警備からパンデミック、大震災まで、官邸の“よろず相談所”である。) 官
![「日本のインテリジェンス」はなぜ世界から遅れを取るのか――「内調」の虚像と実像 #3 | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9ab3c2ad3eb64d4db054d35e9ce666371896c8bc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F6%2Fd%2F1200wm%2Fimg_6ddb171a4de4d059735d9d6ca218ce0a5667156.jpg)