2009年12月10日のブックマーク (2件)

  • 「仕方ない」と言う奴が世の中を変えたためしはない - good2nd

    「現実には襲われるリスクがあるんだから、自衛しなくちゃ仕方がないじゃないか」 人は「あたりまえの常識」を言ってるだけのつもり、なのに何故「常識」が批判されるのかわからない*1。だけど「常識」こそ厳しい批判が向けられるべきなのよ。とりわけ、その「常識」が差別を温存するものならば。 この「常識」がクソなのは、そもそも防犯としての効果がひどく限定的であること(派手だからといって襲われるわけではない、性犯罪は顔見知りが加害者であることが多い)に加えて、 犯罪を不可避的な、自然な出来事(男はケモノ)のように見せかけること、 それによって女性に「自衛」を求め、自由を奪う(ミニスカなり夜間外出なり)ことを正当化していること、 すなわち差別を自然化していること、 その「常識」の蔓延によって、被害者が傷つきつづけること、 犯罪者の責任を軽く考えたがる人々に口実を与えること、 などなど。差別だとしても身を守

    「仕方ない」と言う奴が世の中を変えたためしはない - good2nd
    hobbling
    hobbling 2009/12/10
    私は自衛厨なので、日本も銃を解禁してレイパーは殺しても無罪とすべきだと考えてる。民主主義は銃口から生まれるんだよ!(どや)
  • なぜ資本主義が終わっていると認識されていないのか:資本主義は終わっている - CNET Japan

    主義は終わっている。 資主義の時代は、すでに終わっているのだ。 資主義の時代がすでに終わっていると認識している人は、かなりいるのではないだろうか。はっきり認識していなくても、薄々気づいている人は、相当多数にのぼるのではないだろうか。 とくに、2008年秋の世界的な金融危機以降、新聞やに「100年に1度の危機」という言葉が並ぶと、資主義の時代は終わったのかもしれないという思いが頭をかすめる人は少なくないだろう。 しかし、それでもなお、資主義が終わっているという認識が、人々に広く行き渡っているとは言えないと思う。それは何故かと自問すると、私なりに、5つの解答が思い浮かぶ。 その解答を、まず先に列挙しておこう。 第1に、すっかり全部終わったとまでは言いきれないからである。 第2に、資主義が終わっているとしても、その時期を確定することが難しいからである。 第3に、「資主義は

    hobbling
    hobbling 2009/12/10
    「戦国時代から封建時代へ移行したときも」なんか時代区分がおかしくないか??