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  • 欧米の広告会社はクリエイティブ手法で差別化する - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これは、私が外資系広告代理店で現在働いている理由でもあるし、それはまた、私にとっては、外資系広告代理店で働く息苦しさでもあって、微妙なところなのですが、今回の「広告のしくみ」はそんな欧米の広告代理店のクリエイティブ手法について書いてみたいと思います。 欧米の広告会社というのは、たいがいは、ある優秀なクリエイターが設立したものだったり、あるいは、成長のトリガーになるのが、その広告会社に所属するクリエイターの作品がヒットしたことだったりするので、そのクリエイターの方法論が会社の方法論になったりします。欧米の広告会社には、例えばDDBウェイだったり、広告作品に会社のカラーがあったりします。 現在だったら、ワイデン+ケネディの広告は、ある種のワイデンっぽさってありますよね。それに比べて、日の場合、電通っぽさとか、博報堂っぽさというのは、希薄ですよね。日の場合は、クリエイターによりけりです。 欧

    欧米の広告会社はクリエイティブ手法で差別化する - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hohohiho
    hohohiho 2008/07/28
  • 広告は喧嘩である。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    と元気よく言い切ってみました。言い切るって、気持ちいいもんですね。でもまあ、言い切ってみると妙に弱気になってきて、広告は喧嘩でもある、だなんて書き直そうかなと思ってきました。まあそれはともかく、広告は喧嘩であるというのは、半分は当たっているかもです。 例えば、広告が立ち上がって、その広告がわりとエッジが立った広告だった場合、必ず何かの反応があったりします。あの表現はおかしいのではないか、という意見がお客様相談室に入って来たりします。今日も、そんなことがありました。 で、その意見を見てみると、なんとなくおかしい。利害関係者が、広告表現をつぶしに来ているような気がします。わざと誤読しているような気がします。それに、私は地方の代議士だとか言っているのに、でも名前は名乗らなかったり。じつは、そういうことはよくあります。ライバル会社の関係者だと思います。大人の世界としては、まあそれはほぼ正解でしょう

    広告は喧嘩である。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    hohohiho 2008/07/11
  • taspo(タスポ)雑感 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私は喫煙者なんですが、taspo(タスポ)はまだ持っていません。これからも持たないかも。だって、スーパーやコンビニでカートン買いすればいいしね。今まで予備のタバコを持ってなかったのは、いたるところに自動販売機があるっていう安心感からだったわけで、買えなければ昔のように余分に買っておくだけのこと。お米や塩と同じことです。自動販売機でしかタバコを買えないというなら話は別ですが。 未成年の喫煙を防止することが目的だそうですが、街で高校生とか明らかに未成年な感じの若者が自動販売機でタバコを買っている光景が目に余るという実感は私にはないので、なんとなく別の目的があるんじゃないの?なんて穿った見方をしてしまいます。 申し込みに顔写真と身分証明書のコピーが必要なんですよね。それに住所も。過剰に個人情報のことを言うつもりはないけれど、タバコみたいな今社会から冷たい目で見られる嗜好品をたしなむかどうかの情報

    taspo(タスポ)雑感 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    hohohiho 2008/07/06
  • 「わかる」ということ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    今日、街で何気なく手にしたフリーマガジン「R25」にいいことが書いてありました。無料なのになかなかやりますね。ちなみに、関東圏以外の人はご存じないかもしれませんので説明をしておきますと、「R25」というのは25歳くらいのビジネスマンを対象とした無料週刊誌。駅や街に設置されたラックに置かれています。広告業界では、新しい広告媒体の成功事例として有名で、この無料雑誌、媒体費的にはもはや高級紙なんですよね。「L25」というビジネスウーマン向けのマガジンもあります。こちらは、ちょい苦戦してるようです。 で、そんな、広告系ブログっぽい裏話はどうでもいいとして、いいこと書いてありました、の中身です。一部引用しますね。 そもそも「わかる」とは「分かる」。つまり分類することが、すなわち「わかる」ということなのである。質を理解しなければわかったことにならないという考え方もあるが、質というものはどれもこれも

    「わかる」ということ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    hohohiho 2008/06/19
  • ね。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    コピーライターが書く文章で特徴的なこと。語尾の「ね。」ですね。なぜ「ね。」を付けたがるかというと、共感をつくりたいからですね。つまり、逆のいい方をすると反感をつくりたくないからつけるということですね。しつこいですね。 という私も例に漏れず、このブログでも「ね。」を多用してしまいがちなんですが、まあ、この書き方はわりあい自分の思考の流れに近いというか、そんな感じです。あまり多用すると、共感の押し売り感が出てしまいます。お前のことだよ、と言われそうであれなんですが、そういう共感のコントロールをコピーライターが過剰に意識し出すと、だいたいはコピーが薄っぺらくなってきます。 ある程度キャリアを積んで、技術的に共感のコントロールができてくると、この壁にぶち当たります。なぜ壁になるかと言えば、共感のコントロールというのは、いわゆる文体の技術であって、コピーを構成する要素は、メッセージの内容と、それを伝

    ね。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    hohohiho 2008/06/02
  • かつてテレビは軽蔑される存在だった。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    TBSのドキュメンタリー番組「あのとき…村木良彦氏とTV私論 是枝裕和」を観た。テレビ黎明期の話。放送局ではラジオがメディアとして偉く、ラジオ制作部は駄目な人、使えない人を新しくできたテレビ制作部に出したとのこと。もちろん映像メディアが軽く見られていた訳ではなく、映画は、表現の場としては頂点であったようだ。一方、テレビは紙芝居と揶揄された。テレビ黎明期の武勇伝はよく聞くけれど、そうした現実のリアルな話はあまり聞かない。けれども、よく考えれば、そんな感じであることは容易に想像できる。 今や死語かもしれないが、広告代理店にはラテ局という部署があった。テラではなくラテ。ラジオ、テレビ。それは、できた順番というだけではない何かが表現されていたのだろう。テレビは、映画の模倣から始まったとドキュメンタリーは語る。けれども、落ちこぼれのテレビマンたちは、映画に近づくことをあきらめる。カットが多く、緻密に

    かつてテレビは軽蔑される存在だった。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    hohohiho 2008/05/20
  • 広告的、ウェブ的 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これはいろいろと誤解を招きやすい概念だと思うので、この広告的、ウェブ的という概念を思いつくきっかけから書きたいと思います。それと、あらかじめ言っておきますが、長いです。でも、ひとつ読んでやるか、という方は、少々のお時間おつきあい願います。では、始めますね。 私が広告を制作する際に重視することのひとつにメディアがあります。テレビ、新聞、パンフレット、ウェブ。その他にも多種多様なメディアがありますよね。そのメディアを大きく分けると、大雑把に2つに分けることができます。 それは、受動メディアと能動メディアです。受動メディアはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、交通、ウェブのバナーなど。つまり、人が他のことを考えていても目や耳に受動的に情報が入ってくるタイプのメディアのこと。能動メディアは、パンフレットやDM、企業ウェブサイト(スペシャルサイト)など。つまり、人が能動的にならなければ目や耳に情報が入ってこ

    広告的、ウェブ的 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    hohohiho 2008/05/06
  • 母の具合が悪くなって少しわかったこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    いま大阪の実家にいます。母の具合が悪くなり、今回はそのための帰阪です。ゴールデンウィーク中ということもあって、仕事関係の諸々を最小限に抑えられたのは、ちょっと助かったなあという感じです。ゴールデンウィークは恒例の春一番コンサートを見に行くことにしているのですが、今回は見合わせることにしました。私としては、私の広告の師匠でもあるBRUCE06さんのレポートを楽しみに待とうという感じです。BRUCE06さん、コンサートのレポートよろしくお願いしますね。 母のことをブログに書いていいのかどうかはよくわからないところがあって、いろいろ考えて、今のところは、やはり書かないほうがいいのかな、なんて思っていますので、すこしわかりにくい文章になってしまうかもしれません。ごめんなさい。 母の具合が悪くなって、私自身、思うところがあったので、それを書きたいと思います。私は、ここのところ、ずっと家事やら母の対応

    母の具合が悪くなって少しわかったこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hohohiho
    hohohiho 2008/05/02
  • 「広告批評」休刊が象徴するもの - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    前回のエントリ「広告の終わりのはじまり」を書きながら気になっていたのは、この「広告批評休刊」というニュースを、さとなおさんはどう思ったのだろうということでした。ネットを眺めてみると、広告批評休刊について語るブログは多いものの、あのニュースを聞いて、私が心の中でざらっとしたものを感じたのとは、正直言えばコンテクストが違うというか。こんなこと思うの、私だけ?というもやもやした気持ちでいました。 まあそれは、広告業界では私は大きなニュースであると思っていた広告批評休刊という出来事が、それほど大きなものではないという証拠であるようにも思えるし、職場でもそのことを大きなこととして話すこともなかったし。時代認識としては、悲しいけれど、広告業界にさえ、もはや広告批評にそれほどの意義がなくなっているという意味では、正しいとも言えるし、そう考えればなおさら心の中のざらっとしたものが増幅されるような、そんな感

    「広告批評」休刊が象徴するもの - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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