2021年10月16日のブックマーク (2件)

  • 赤松健の「ムリ」発言は表現の自由戦士の敗北を表すものである - サブカル 語る。

    こんにちは。 今月もなんだかんだで月一の更新でございます。このブログはアニメや漫画ゲームその他諸々の「なんだコリャ?」な情報やモノを紹介することで、それらの持っている「くだらなさ」「発想の奇抜さ」「時代を先取りしすぎた先駆性」など独特な味わいを楽しみたくて始めたものだったんだけど、気づいたら「オタク叩きの急先鋒」みたいな扱いをうけることの極めて多いブログになっていました。別にいいけどさ。私ゃただ、社会的な常識とやらを持たない人たちに対して「社会性をもってオタク趣味を楽しもうぜ。そうでないとそのうち社会からそっぽ向かれることになるぞ」と言い続けているだけなんだけどもな。まぁその主張もわかる人にはわかるだろうし、わざわざ声高に言わなくてもオタクはそのうち否応なく、社会との対話や常識の照合を突き付けられて醜く狼狽することでしょう。 さて、題。日のブログのテーマは漫画家「赤松建」さんのこの発

    赤松健の「ムリ」発言は表現の自由戦士の敗北を表すものである - サブカル 語る。
  • いつから「表現の自由」の問題と思っていた? - tikani_nemuru_M’s blog

    千葉県警が児童向けの交通啓発PR動画を作成し、抗議を受けて削除した問題。 表現の自由の侵害だ、などと言われているようである。しかしこの問題にはそもそも「表現の自由」などは関係ない。 その理由を説明する。 1 表現の自由とは国家に対する個人、公権力に対する私人の自由である。これは表現の自由における基のキの字といえる。 発注者の千葉県警は公権力サイドそのものであり、私人の自由である表現の自由があるはずもない。今回は警察という公権力の典型であるからわかりやすいが、基的に公的機関には表現の自由はないといえる。なぜなら公的機関とは法によってその存在根拠が示された機関であり、日国憲法や国際条約に反する思想を持つことは許されない。法人には内心の自由もない。思想の自由も内心の自由もないから、それらを担保する表現の自由もない。 もちろん、発注者に表現の自由がないのだから発注者の代理である製作者にもない

    いつから「表現の自由」の問題と思っていた? - tikani_nemuru_M’s blog