2023年12月5日のブックマーク (2件)

  • 戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。 | レファレンス協同データベース

    外務省記録「各国国名及地名称呼関係雑件」のなかに、1930年(昭和5年)10月に、浜口雄幸内閣が中国の呼称を常則として「中華民国」とするとの閣議決定を行った際の記録が残されています。 この閣議決定が行われるまで、日政府は、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国の呼称として通例「支那」を使用していました。しかし、中国は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」という呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求めていました。たとえば、中国国民政府文書局長であった楊煕績は、1930年5月に日中国との間で結ばれた関税協定において、日が条文中に「支那」という字句を使用した事を批判し、「今後日側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。 こうした中国官民の感情に配慮して

    戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。 | レファレンス協同データベース
    homarara
    homarara 2023/12/05
    chinaの名前が残ったのは、単に『支』という字が『支店』のように中心ではない意味があるからというだけの理由だったような。(因みに階級の佐官の『佐』も『補佐の佐』なので、中国では代わりに『校』を使う)
  • 周庭(アグネス・チョウ)の無事を喜ぶ資格など私たちにあるのだろうか?

    <「香港の民主の女神」と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)さんの無事が確認され、現在はカナダに留学していることが分かった。安堵はするものの、かつての香港に手を差し伸べることができなかった私たちに、彼女の無事を喜ぶ資格などないのかもしれない> 香港の民主活動家をしていた周庭(アグネス・チョウ)さんが2年半ぶりにインスタグラムを更新し、自身の近況を報告した。現在はすでに香港を離れ、カナダに留学中だという。 周庭さんと言えば日メディアで「香港の民主の女神」とも称され、日人にとっては香港の民主化運動の象徴的存在だった。若い香港人女性が覚えたての日語を駆使しながら必死になって「香港の民主主義への支持」を訴える姿に、心打たれた人も少なくないだろう。 長らく消息不明となっていた彼女の無事が確認できて一安心......であるのは確かなのだが、近年の香港情勢を取材してきた私としては、現下の状況を素直に喜

    周庭(アグネス・チョウ)の無事を喜ぶ資格など私たちにあるのだろうか?
    homarara
    homarara 2023/12/05
    お、自己批判ポルノ。