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エロゲと批評に関するhomiyaのブックマーク (8)

  • ゼロ年代美少女ゲーム論やりたいなあ - 地質学的変動

    僕は「リトルバスターズ!」を作品として評価していない。しかしこの作品はやはり偉大であるといわざるを得ない。この作品はそれまでのKeyの作品と多くの面で異なっている。たとえば主人公の直枝理樹(この名前と久弥直樹の関連性というのは無理があるとしても捨てがたい)に声がついている。KeyはもともとCVに消極的なブランドではあったが、「主人公以外フルボイス」などという奇妙な事態がまかり通る世の中にあって主人公に声がついていることの意味は小さくない。しかし理樹の台詞すべてに声がついているわけではなく、主に理樹以外が視点人物となっているときに彼の顔グラとともに声がつく。彼の顔もきわめて重要なポイントである。主人公はプレイヤーが同一化するべき空虚な器だから無色透明であり顔は描かれないというのが「常識」であるが、理樹ははっきりと顔を持ったキャラとして描かれるし、その顔はショタ的である。となれば彼は当然のごと

    ゼロ年代美少女ゲーム論やりたいなあ - 地質学的変動
  • 素人のアダルトライブチャットDXLIVE 新着の女の子推薦文

    お会いする度に美しくなられるあおい様。毎夜センスの良いランジェリーを身にまとい、たわわな果実を揺らしながら、妖精のような綺麗なお声で感じるあおい様に欲情しては、快楽に溺れてしまうのです。今後清純なあおい様の初めてになられるお方が、羨ましくてなりません。

    homiya
    homiya 2010/05/09
    ”つまり、女について語りたくない人たち。”
  • Passepied: フォーマットの展開からみたギャルゲーの歴史

    フォーマットといいますと、テキスト・選択肢・立ち絵・背景・音楽というシステム構成確立後、その新しいフォーマットからなにが必然的に生まれたか。プレイスタイル故のシナリオ・キャラの制約の発生と推移、それを逆手にとった自己言及的シナリオ構成。こういったメタ現象としてギャルゲー運動をとらえる総合的な意味の「フォーマット」です(頭の悪い文・・・)。 YU-NO、同級生・下級生等のエルフやC’sあたりの系譜はとりあえず無視。アリスソフトも放置。グリグリなど、ヤマグチノボルや桑島由一のコミカルなライトノベル系も押さえてません。戯画の丸戸史明も。最近の作品(『群青の空を越えて』など)も押さえ切れていない。 参考文献は『美少女ゲームの臨界点+1』等。沙耶のとことか、一部そのまんま引用。 一息で概観がつかめるよう、あえておおざっぱに書いてます。 今更感漂ってますが、一度まとめておきたかったので。 力一

  • nix in desertis:足踏みするエロゲ批評界

    エロゲーの未来について真剣に考える(フランス乞の奇妙なエクリチュール) そのはてブ 実は当該エントリについてはブコメで「何言ってるのこの子、と思ったらすでに大体同意な反論記事があった。」と書いている通り、こちらで大体同意な反論があるので、そちらに回す(ただしこの人は、過去の記事を読んでも、お朱門ちゃんを過大評価してるような気はする)。しかし、それとは別にいくつか気になることがあるので、これを機会にエロゲ論壇(笑、以後めんどくさいので(笑)省略)について言いたいことを書いておく。過去に何度か書いているので重複になるかもしれないが。 まずそもそも、論壇なんてものはなくても業界自体は売上が落ちない限り滅びることはない。そのことを忘れて「エロゲの未来」とか語っちゃうので、「何言ってんのお前」とか「文学(笑)だけがエロゲじゃねぇんだよ」とか言われてしまう。ちょっと話はそれるが、実のところ同じ

  • nix in desertis:パルフェ論っぽいパラダイム論

    エロゲのパラダイムが一つ変わったように思う。『雫』以前のことは知らないが、それ以後ならば、『雫』から『Kanon』までの黎明期、『Kanon』から『Fate』までの泣きゲー・ゲー全盛期、『Fate』以後の伝奇・燃え路線。もちろんのことながらおれは大雑把な、パラダイムとしての区切り方であり、それぞれの先鞭は前の時代に出現していること、そして萌えゲー、純粋なるエロゲー路線は、パラダイムとは関係なく、脈々と存在していることは、先に明記しておく。 『Fate』のパラダイムはそれなりに長かったと思うが(『Phantom』から数えるならさらに長い)、今は燃えゲー全盛期かというと、それは去年・一昨年の時点で相当違ってきている。ここ1・2年で当てたのは『Bullet Butlers』だけだろう(筆者は未プレイ)。「ランス」は確かに燃えゲーかもしれないが、『Fate』のパラダイムに入れるのはランスに失礼

    homiya
    homiya 2010/01/10
    神は細部に宿る
  • 主人公・トラウマ・物語

    @hachimasa ふと思ったのだけど、エロゲーが主人公のトラウマをクローズアップするようになったのって、どこからなんだろう。やっぱ03年9月26日以降なのかね 2009-11-16 23:34:29

    主人公・トラウマ・物語
  • 『Fate/stay night』以後のパースペクティヴを検討する - 猫拳@はてなブログ

    「月刊ERO-GAMERS」に対する個人的な所感――なぜ、今、あえてエロゲーレビューサイトなのか 「月刊ERO-GAMERS」について、もう少し具体的な運営方針の話 「月刊ERO-GAMERS」に対するぼくの主要な動機が、コミュニティの形成にあることはすでに述べた。 一方で、『Fate』以降のエロゲーに対して有効な批評、見通しが得られていないと考えており、それを見いだすことが、ERO-GAMERSを含めた批評活動において、目的のひとつとなっていることも確かだ。 ちょっとおとなしくしすぎているような気もするし、いい加減持論めいたものも出していくべきに思われた。 ので、『Fate』以降の時代がどういったものか、個人的な見解を基的なところから明らかにしてゆきたい。ぼくのERO-GAMERSにおける発言も、こうした認識に基づいている。 主人公の復権 『Fate』以降のシナリオゲー作品から明確に読

    『Fate/stay night』以後のパースペクティヴを検討する - 猫拳@はてなブログ
  • 雑記「物語は誰のものか」

    最近、サンデーはチェックしていなかったので四巻の中身は全て初読……だったわけだが。 「サブヒロインは世界と闘争する」 「変容する自己と他者」 前者の中身とほぼ同じ内容が、既に「物語として」過不足なく描写されていたことに驚きつつもややしょんぼり (´・ω・`) まあ相手は神だからしかたないな。 さておき、今回の巻に収録されている小坂ちひろ篇における「普通の人」の物語には、ギャルゲー・エロゲーの基構造についてある意味重要な示唆が含まれている――そう言えると思う。 前回の1.2.を受けて、次の疑問を提示してみる。 3.物語は誰の物か ギャルゲー及びエロゲーは通常、ヒロインの魅力に焦点をあてた作品としてまずつくられる。 しかし、それは全てのギャルゲー/エロゲーが「ヒロインの物語」であることを意味しない。 前回2.で述べたように、主人公側の救済/トラウマ解消/目的達成がヒロインのそれより優先される

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