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2018年1月2日のブックマーク (3件)

  • マツコに叩かれる横浜市民の横浜愛。横浜生まれ横浜育ちの私が受けて立つ。 - ばかのこ日記

    横浜に住むこと19年。 多くのメディアに 「横浜市民はプライドが高い」 「出身地を聞くと必ず神奈川ではなく横浜と答えるのがイラつく」 などと叩かれていることを知る。 マツコにも鬼の形相で「横浜と戦うって決めたの!」宣戦布告までされてしまっている。 …受けて立とうではないか。 横浜市民を代表して私が横浜の魅力を語り尽くしてぐうの音も出ないほどにしてしまおうぞ! まず知らない人には知ってもらいたい。 横浜市民の大半は横浜市歌が歌える。 多くの人は小学校に入って初めて横浜市歌に出会うことになるだろう。 行事があるたびに体育館に元気な声を響かせてみんなで歌うのだ。 県歌ではない。市歌だ。 これによって士気ならぬ市気が鼓舞されて「私は神奈川県民ではなく横浜市民である」という大いに矛盾を抱えた認識を小学生のうちに植え付けられる。 さらに、驚くべきことに最近の小学校では横浜市歌をアレンジした曲に合わせて

    マツコに叩かれる横浜市民の横浜愛。横浜生まれ横浜育ちの私が受けて立つ。 - ばかのこ日記
    honma200
    honma200 2018/01/02
    みんな、みなとみらいヅラする問題がだね・・・
  • 「元旦」で1月1日全体を指すことは別に誤りというわけではない|Colorless Green Ideas

    「元旦」は1月1日の朝を指し、1月1日全体を指すわけでないという説がある。しかし、用例を見ると、「元旦」で1月1日全体を指すことが誤りだとは言い切れないように思われる。 「元旦」=「1月1日の朝」説 「元旦」という言葉は1月1日の朝を指し、1月1日全体を指すわけではないと説明する人がいる。この説明に基づけば、「元旦の夜」というのは語義矛盾であり、「誤った」言い方になる。 しかし、私としては、この説に反対したい。「元旦」で1月1日全体を指すことは別に誤りというわけではないと思うのだ。実際、後に示すように、「元旦」で1月1日全体を指し示す事例はとてもたくさんある。一般の人だけでなく、太宰治や坂口安吾といったちゃんとした文章を書く小説家ですら、「元旦」を1月1日の朝に限定しておらず、むしろ全体を指すものとして使っている。 「元旦」=「1月1日の朝」説の事例 私からの反論を書く前に、まずは「元旦」

    「元旦」で1月1日全体を指すことは別に誤りというわけではない|Colorless Green Ideas
    honma200
    honma200 2018/01/02
    そういう意味になったということで
  • 年賀状はいらない文化なのか?

    ゆうパックの話題でなぜか年賀状やめろってブコメが付いていることが多い 年賀状(あとお歳暮とかも)いらない文化だから滅びろみたいなことを書いてる人もいる 俺はここ数年、年賀状仕分け(内務)の短期バイトをやっているのだが色々と思うところもある 無駄といえば無駄だとは思うんよ 毎年、区分も大変だし、束になると結構重いし、手区分めんどくさいし、郵便局の人達の顔色どんどん悪くなっていくし でも文化って言ってしまえば無駄なことに力を注げる余裕のことでしょ? それにさ、人との繋がりってそれを維持するのに実態のある物をやり取りするのが結構重要だと思うんよ 年始の挨拶なんてメールやLINEでいいだろって人もいる でも、これは経験則からなんだけど普段から顔を合わせてる人や家族はともかく、そうでない人との関係はそれだけだと疎遠になっちゃう事が多い 隣の県程度の距離でも年賀状のやり取りすらしない相手とは疎遠になっ

    年賀状はいらない文化なのか?
    honma200
    honma200 2018/01/02
    こうでもしなきゃ、年単位で疎遠になっちゃう人(別のちい地域に住んでる)がいるから繋がっているためには必要なツール。住所が変わったとか知れるしね。なお、うちは趣向を凝らしてクリスマスカードですが