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2022年3月6日のブックマーク (2件)

  • 人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。

    少し以前のことだが、あるベンチャー企業のドキュメンタリーをみていた時のことだ。 その会社では、社運を賭け画期的な生活家電の製造・販売に乗り出し、デパートの催事場で展示即売会を仕掛けるという。 出陣式のようなものまで開き、やる気みなぎるように見えるシーンには熱気を感じる。 しかしいざフタを開けてみれば、販売目標50台に対して売れたのはたったの10台。 営業部長以下、社員全員が意気消沈してしまい、社に戻るとさっそく反省会を始めることにした。 そしてその際、社員たちから出てきた反省の言葉は要旨、以下のようなものだった。 「お客様から質問をして頂いても、ほとんど答えることができなかった」 「新機能をどのように使うのかなど、生活に即したアドバイスができなかった」 表現はそれぞれだが、社員たちの言葉は製品を理解していないために売れなかった、という趣旨のものだった。 それらの言葉を受け、営業部長は居合わ

    人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。
    honma200
    honma200 2022/03/06
    "それを後になって、「製品を実際に体験し理解する工程が抜けているじゃないか」" これな、害悪だなと思うのはその場の思いつきの後出しジャンケンだから
  • 「部下を叱っても、たいして意味はない」と考えていたマネジャーの話

    コンサルティング会社にいたとき、新任の管理職向けの研修をやっていたことがある。 その研修の中で、「𠮟り方」は一つのジャンルとなっていた。 大人に向かって「叱る」のは、なかなか得られない経験であるから、管理職になった時には「叱り方」を学ばせたい、という意向を持つ経営陣はそこそこ多いので、それを反映した形だ。 * しかし、当に「叱ること」が重要なのか? という点については、あまり議論はなかった。 だが、「叱ること」と「マネジメント」は、私が観察するかぎり、研修や書籍などでは現状、ほぼセットで語られている。 「上司は部下を叱って当然」 「叱らない上司はむしろダメ」 「叱ることは、怒ることとちがって、その人のためになること」 そんな「常識」が、そこには存在している。 果たして、それは自明なのだろうか。 叱らないマネジャー 叱らないマネジャーを見たことがある。 この人は、「テクニックとして叱らな

    「部下を叱っても、たいして意味はない」と考えていたマネジャーの話
    honma200
    honma200 2022/03/06
    私はどちらかというとそんな感じ。もし、もうちょっとで行けるなら支援をするかな。説教は行えないタイプだし