→紀伊國屋ウェブストアで購入 →紀伊國屋ウェブストアで購入 「写真の聖地へ」 昨夏、サン・ルゥに行ってきた。パリから南東へ350キロ、ブルゴーニュ地方にあるこの小さな村の名を記憶したのは、森山大道の『サン・ルゥへの手紙』という写真集によってだった。そこには村の写真は入っていなかったが、太陽がたくさん当たっていそうな地名の響きが耳に残った。 それ以来、機会があれば行ってみたいものだと思っていたが、昨夏パリに友人を訪ねたおりに晴れてその地を踏むことができた。なんということのない村で、日差しだけが強烈で、村の道には文字どおり人っ子ひとり見えず、案内所で時間になるまでお待ちくださいと言われて、木陰の椅子に座り、ガイドが現れるのを待った。『実験室からの眺め』を繰っていると、その日の他愛のない時間の流れが記憶の前面にせり出してくる。 「1827 年7月、世界に記念すべき一枚の写真は撮影された。 中部フ
→紀伊國屋書店で購入 「時間の痕跡こそが彼を魅了した」 写真が力を発揮する領域には、大別してふたつある。ひとつは肉眼では見えにくい対象を見せること。もうひとつは時間を停止させて人の記憶や意識に働きかけること。前者の典型は軍事目的で撮られる空撮写真で、後者は家族が撮るスナップ写真だ。 マリオ・ジャコメッリが選んだのは後者のほう、記憶に関わるの領域を探求した人である。コントラストの明快な、抽象と具象の狭間を行き来するようなモノクロームのイメージ群は、彼の生きた時代を考えると、とてもオリジナルな行為だったように思える。 1925年にイタリアのアドリア海側にあるセニッガリアという小さな町で生を受け、生涯そこで暮らした彼が、写真に手を染めたのは1950年代のはじめ、28歳のときだった。最初に撮ったのはホスピスの写真で、それを長いこと継続している。 それらの写真を見て感じるのは、さまざまなタイプの写真
→紀伊國屋書店で購入 「ゼンマイはこんなところで芽吹いていたのか!」 3月中旬にもなると、ビニールハウスで育ったものだとわかっていても山菜を売りにしたメニューを注文してしまう。水煮缶詰を堂々使う店に驚いたこともあるけれど、「採りたて」とも「今年の」ともうたっていないからこちらの見極めが甘いに過ぎない。スーパーにも一斉に山菜が並ぶ。春の一夜の食卓にはハウスものでも気分は十分、でもこれにはどうしても手が出ない。かといって天然ものを取り寄せたりするのはこころに合わず、たまたま送っていただくか旅先で食べるなどの時々の記憶がつながっていけばいいと思ってきた。 天然山菜の最初の記憶は子ども時分の5月の休日。朝起きると父がいない。昼ご飯のあと母が筵をひいたり灰汁抜きのための大鍋を用意する。午後3時ころになって帰ってきた父は車の中から籠や袋を取り出し、採ってきた山菜を筵に広げて種類分けする。食べられるもの
→紀伊國屋書店で購入 「見えること」と「見えないこと」のはざまに立つ もっと早くにこの写真集を取り上げたかったのに、時間がとれないまま11月になってしまった。もっと早くに、と思ったのは、東日本大地震の惨状を写した写真への世間の関心が、日に日に遠ざかっていくように感じられたからだったが、出てから2か月近く経ったいまこれを書こうとして、出版直後とは別の思考が自分のなかに延びているとも感じている。 B5サイズの横幅をカットした縦長の本だ。ページを捲ると上半分は白い余白で、文章だけがあり、このようにはじまる。 「何かが起こっている。いまここではない遠いところ、ほら懐かしいあの場所で、何かとてつもないことが起こっている。その様子がいま僕のいるところからでは、よく見えない」 「よくわからない」ではなく、「よく見えない」と書かかれていることに注視しよう。本書のテーマがここに集約されている。この世には「見
→紀伊國屋書店で購入 「19歳の”されこうべ”」 広島に暮らす飛行機好きの「ぼく」は19歳で召集され大阪の陸軍通信隊に配属される。数日後には東京の通信隊本部へ転属となり、無線送受信の練習中にアメリカの短波放送を受信してポツダム宣言の内容を聞いてしまった。日本語訳がラジオで流れた前日のこと。8月11日には中尉から所属する隊の撤収を告げられ「我々は、機密書類や通信機材の一切合財を、焼却し、あまさず処分しなければならない」と、着る服を残したすべてを全員で焼き尽くす。2カ月前に降りたばかりの東京駅へ。日付変わって8月15日。仮眠中に憲兵がやってきた。身分を証明するものが何一つない。一緒の隊だった笹岡と一世一代の大芝居。5時25分発の東海道線で、9日前に「新型爆弾」で丸ごと吹っ飛ばされたとラジオで聞いた広島に向かう。ただ一発の銃弾を打つこともなく、耐えられないほどの辛く厳しい訓練も空腹もないまま、玉
→紀伊國屋書店で購入 「私の家の姿は私が覚えている」 解体前の友人の家の掃除を手伝った。もの作りの好きな三世代が暮らした一軒家で、そこかしこに手作りの気配がある。「必要なものはすべて運び出したから、欲しいものがあったらどうぞ」と言うので、なにかの端材で作った小箱だとか流木を磨いた小物掛けだとかを持ち帰った。「こんなもの、どうするの?」と友人。使い込んだ本人にはわからないテカリやヌメリに、なぜか他人は惹かれるものなのだ。掃除を終え、庭にたっぷり水を撒き、雨戸をしめた。数日後、更地となって間もなく、いつものように庭に咲いた水仙を隣の人が鉢に植え替え届けてくれたそうである。植田実さんが月刊「みすず」に「住まいの手帖」として連載しているエッセイから60篇をまとめた本書を読みながら、この日のことを思い出した。 ※ 建築関係の雑誌や書籍を長らく編集され関連著書も多い植田さんが、特定の建築物や施主、建築
大竹昭子 (おおたけ・あきこ) ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを超えて 執筆。インタビュアーとしての評価も高く、一言ではくくれない多面的な 書き手として活躍している。 都内各所でトークと朗読のイベント<カ タリココ>を開催。 <カタリココ>および、その他のイベント情報はこちら→ 『この写真がすごい2008』『図鑑少年』 『きみのいる生活』『眼の狩人』 『旅ではなぜかよく眠り』『アスファルトの犬』『須賀敦子のミラノ』 『個人美術館への旅』『バリの魂、バリの夢』『東京山の手ハイカラ散歩』 『随時見学可』(みすず書房)。『あの画家に会いたい個人美術館』(新潮社とんぼの本)など著書多数。 最新刊は『ソキョートーキョー(鼠京東京)』(ポプラ社) Webでも「森山大道のon the road 」と 草森紳一記念館の「目玉の人」を連載中。 →bookwebで購入
→紀伊國屋書店で購入 「常に自分の意識を壊し超えようとした人」 ビートニクの作家というと、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズの3人が代表的だが、そのなかでいちばんカッコいいとかねてより思っていたのはバロウズである。なぜならば謎めいているからだ。いつも背広に帽子という格好。ジーンズ姿の写真は見たことがない。ギンズバーグとケルアックに漂っているヒッピー世代の先駆者的な雰囲気がないのだ。麻薬中毒なのに、そうしたにおいも感じさせない。しわの寄った紙を伸ばすような独特の声。どこにも属さない孤高の人というイメージを全身から放っている。 こんなふうに書くとバロウズの良き読者のように見えるかもしれないが、申し訳ないことにそうではないのである。あのハチャメチャな文体とむきあうのは億劫だと正直なところ思っている。でも無視できない。想像をかきたててやまないあの雰囲気が気になって仕方
→紀伊國屋書店で購入 「異国にいる「孤独」が浮かびあがらせたもの」 彼女のこれまでの仕事を知っている人は、この写真集を開いてホントに長島有里枝?と首を傾げるかもしれない。1993年、大学生のときに「アーバナート」展でパルコ賞を受賞しデビュー、受賞作は家族のヌードという、それまでの写真表現の枠を破るような過激な内容だった。 審査の会場で長島の作品に目を付けたのは荒木経惟だった。候補作からもれていたのを、遅れて審査の場にやって来た彼が「これを入れなきゃだめじゃない」と主張して審査の流れが変り受賞したという半ば伝説化したエピソードがある。それから17年、『SWISS』と題されたこの写真集には、つねに生きることを問うてきたこの写真家の生の温度と、自分を「他者」として見つめる冷徹な視線とが脈打っている。 写真と言葉を一緒に載せた本は多いが、両者の関係がうまくいっていると感じる例は案外少ないものだ。両
→紀伊國屋書店で購入 →紀伊國屋書店で購入 「森山大道はこうして出来上がった」 いま書店の写真コーナーには森山大道のたくさんの写真集が売られている。大判のものからペーパーバックまで、サイズも厚みも装丁もさまざまな写真集がところ狭しと置かれており、写真集売り場の占有率がもっとも高いひとりであるのがわかる。 ここに新たに『にっぽん劇場』と『何かへの旅』の2冊が加わった。「1965-1970」「1971ー1974」という年号からおわかりのとおり新作ではないが、なあんだ、と言うなかれ。この2冊の刊行は、写真集史におけるひとつの「事件」とも言える重要性をもっているように思う。 理由を説明する前に、個人的な体験をふり返ってみたい。1993年から1年余にわたって14人の写真家を取材して『芸術新潮』に連載した。後に『眼の狩人』という本にまとまったこの仕事が、私が写真と関わるきっかけだったが、このときに予想
→紀伊國屋書店で購入 「「衝動」の因って来たるところ」 東京都現代美術館の全館を、子供時代から現在までの作品で埋め尽くした大竹伸朗の「全景」展が開かれたのは、2006年秋。もう2年もたったのかと思う。「なに」と一言でいえない事件に遭遇したような生々しさが未だ残っていて、つい先日のような気がしてならない。 この本は、2004年2月号から2008年10月号まで、文芸誌『新潮』に連載された彼のエッセイをまとめたものだ。連載半ばに「全景」展があったわけで読むほうとしては、そのことを気にしつつ読んでいく。画家にとってどんな出来事だったのかとか、ひと山超えての感想などが書かれているのではないかとか、ついそんな期待してしまうだが、結論を先に言ってしまうと、そんな起承転結的なものは一切出てこないのである。 彼は18歳のころ、北海道別海の牧場で働いていたことがある。「全景」展にあわせてその牧場でも作品展をす
→紀伊國屋書店で購入 シケた日にはこんなふうに日記を書けるようになりたい 「もうひとつの国へ」なんて、きざなタイトルで反吐が出る。帯にはもうひとつのきざ。 「火曜日、記すべきことなし、存在した。」というのは、ジャン・ポール・サルトル「嘔吐」のなかのワンフレーズである。 こう書き出して、次に寺山修司の「過ぎ行く一切は比喩である」を引き、ぼくにとっては今現在も比喩だと言い、古いマンションの一室の鉄パイプ製のベッドで目覚め頭痛薬やチョコや缶コーヒーや煙草を連れて大きなテーブルにゆき、足を投げ出してリビングの換気扇や彼方の高層ビルやキッチンのメモに目をやり、「冴えない朝の時間(ルビ:メニュー)の向こう」につながる「日常という名の迷路」へ「モードを切り替え」、「ぼくの仕方もない一日」の始まりを書いてみせる。きざなパーツの連鎖ながら写真家・森山大道の語り口がきざをぎざぎざにひきさいてしまうのは、写真と
→紀伊國屋書店で購入 「都心で狩猟採集生活をする」 私がニューヨークに暮らしていたころ、街中のいたるところにホームレス・ピープルがいた。80年代初頭のことだ。彼らの多くは物乞いをして生活していたが、物を乞う卑屈さが少しもない。朝、コーヒーを買って釣り銭をもらおうとすると、さっと横から手が出る。そのタイミングのよさに、思わずコインを彼の掌に落としてしまう。いつもそうするとは限らず、機嫌の悪いときには「こっちが欲しいくらいよ!」と言い返してしまったりするが、別に恨むふうでなく、have a nice day! と言って去っていく。 それまであまり意識しなかったホームレスのありようを、帰国後、気を留めるようになった。以前は耳にしなかった「ホームレス」という言葉をよく聞くようになったのも、このころだったように思う。原稿に「浮浪者」と書いたら「ホームレス」と赤を入れられ、この名が日本でも使われている
→紀伊國屋書店で購入 「「報道写真」がたどった試行錯誤の道程」 タイトルの「フォト・リテラシー」は耳慣れない言葉かもしれないが、「メディア・リテラシー」なら聞いたことがあるだろう。メディアの「読解力」を意味する言葉で、対象となる多くは映像メディアである。『フォト・リテラシー』はその映像から写真を抜き出した言葉だ。 とはいえ、写真の現在はあまりに広大でとりとめがなく、本書では「報道写真」と呼ばれるものが対象となっている。それがどう成立し、どのような紆余曲折を経ていまに至ったかを遡る。読み解くための鍵は、「報道写真」が積み重ねてきた経験の中にあるのだ。 たとえば、写真を語るときにだれもがよく使う「決定的瞬間」という言葉は、カルティエ=ブレッソンの写真集のタイトルから来ているが、フランス語の原題の正確な意味は「かすめ取られたイマージュ」だという。なぜそれが「決定的瞬間」なってしまったのか。 英訳
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