半世紀前の1972年2月、札幌でアジア初の冬季五輪が開催された。ノルディックスキーのジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した日本勢は「日の丸飛行隊」と呼ばれ、金メダルを獲得した笠谷幸生さんは日本選手初の冬季五輪王者となった。ただ、本人は50年たった今も「負けた」という思いを拭い去れないでいる。(共同通信=三木寛史) ▽自国開催にも「淡々としていた」 笠谷さんは明治大時代の64年インスブルック、社会人になっての68年グルノーブルと、五輪に2度出場した。両大会とも順位は1桁に入れなかったが、28歳で迎えた札幌五輪では、豊富な経験を持つ日本の中心選手だった。自国開催にもかかわらず、比較的冷静に迎えたという。 「淡々としていたよ。高揚感なんてなかった。俺の信念は、五輪だからといってそれに向けて特別なことをするな、というもの。だから特別なこともしなかった」 慣れ親しんだ環境を存分に
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