ある少年の半生から見たユーゴスラビアサッカーの崩壊 【海外通信員】2007年11月28日 私のシェアメイト、マルコはセルビア人だ。 マルコがサッカーを語るとき、彼は「ユーゴスラビア人」に戻る。ピクシーやオシム監督に深い敬意を表し、「欧州の強豪」と呼ばれた時代を熱く語る。そして過去の栄光を惜しみ、“ユーゴ・ノスタルジア(古き良きユーゴ)”に思いを馳せ、紛争を悔やむ。 マルコにとって、ユーゴスラビアサッカーの崩壊は、苦渋に満ちた自分の半生そのものに重複する。 マルコが生まれたのは1979年、ユーゴ統制の重鎮だったチトーが死亡する1年前のことだった。実家は、ベオグラード郊外のパルチザンのホームスタジアム近くにある。オシム監督が90年から代表監督を兼ねて、監督を務めていたクラブだ。 チトーの死を境に、ユーゴ各地にナショナリズムの嵐が吹き荒れるようになる。そんな中、オシム監督の前任の監督は、国内の