奄美出身の家系で中頭郡越來村(現:沖縄市)に生まれる[1]。 1978年、防衛大学校管理学専攻コースを卒業(第22期)[2]、海上自衛隊に入隊。海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て護衛艦隊に勤務した。四年後の1982年に二等海尉で退官。琉球銀行に勤務。その後、米軍基地就職学校「グロリア・ビジネススクール」校長、拓殖大学日本文化研究所客員教授、シンクタンク「沖縄と尖閣を守る会」代表などを務めている。 2012年(平成24年)[1] から八重山日報論説委員長を務めていた[1][3] が、2013年(平成25年)3月、わずか1年で辞任している[1]。 1990年代後半から、普天間移設問題が過熱化すると、恵は、通訳兵サンキ浄次の回想録をあげ、「キャンプ・シュワブは地元が積極的に誘致した」という、事実とは異なる主張を拡散した[4]。正しくは辺野古の項目を参照。(ハワイ出身通訳兵の回想録で