ブックマーク / ch.nicovideo.jp/cayenne3030 (2)

  • 成長の近代を選ぶにせよ、成熟のデジタル中世を選ぶにせよ。:弱いなら弱いままで。

    けれども、社会人になってからは、そんなの「何が正しいかわからない偶然の世界」で生きてサバイバルしなきゃいけないので、自分にできること、続けられることで努力しないと、努力ってものすごく苦しい地獄になってしまうじゃない? ちなみに、努力なんかしちゃだめだよーって、ことあげであって、その逆が楽をできるってのでは全くないんだよね。勘違いされると、凄い困るんだけど。人生が豊かでリアルな充実に満ちるためには、同様の苦しさや厳しさを体感していなければいけないんだよ。そんなの、当たり前だっちゅーの。ただ、それは自分が内発性が担保できる、結果がなくともいいことがなくても、やっているだけで楽しいものを探していかなければならッていこと。またここもことあげだけど、最初から楽しいだけなんてこともないからね。「繰り返すこと」「量をこなすこと」で異様な量の体験による刻苦によって、基礎土台って出来上がって、そこから当の

    成長の近代を選ぶにせよ、成熟のデジタル中世を選ぶにせよ。:弱いなら弱いままで。
  • コミュニケーション学習のプロセスはハードル走に似ている。(2642文字):弱いなら弱いままで。

    コミュニケーション能力とか、コミュニケーションスキルといった言葉が何やらきわめて重要な技能として話題を集めるようになって久しいです。よく考えてみればずいぶん正体不明の言葉ではありますが、ま、そうはいっても、ひととうまくやり取りする能力なしで社会を渡っていくことがきびしいのはたしかでしょう。 ただ、「いまどきの若い者は――」式の認識が意味を持たないこともあきらかであるわけで、昔のひとがコミュニケーションに長けていたという神話は疑いを持って見なければなりません。 むしろかつてはいまほどコミュニケーションがむずかしくはなかったと考えるべきでしょう。ぼくたちはあまりにも複雑多様化したコミュニケーション手段を抱えていて、それぞれをどう使いこなせば良いのか必死に学習する必要性を感じている。

    コミュニケーション学習のプロセスはハードル走に似ている。(2642文字):弱いなら弱いままで。
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