扉が勝手にひらいて彼は凍りついた。反射的に目を逸らし不審にならない程度に彼女の目から離れたところ、彼女の右の耳朶のあたりに視線を戻し、儀礼的にほほえむ。彼女はドアノブを持ったままどうぞと言う。オフィスの入り口の扉だから反対側に誰かがいて同じタイミングで開けることは珍しくない。たいていの人がたいていの相手にドアを押さえておいてあげる。どうぞ。ああどうも、ありがとうございます。 彼はただそれだけのことを済ませるために、午後いっぱいの作業より多くの体力を使った。自席に戻ると特有の脱力感がおとずれた。それは彼の覚えているかぎり彼女と向きあったあとにだけ発動する感覚だった。無事に逃げてきたような感慨を、彼はおぼえた。皮膚感覚が鋭敏になり、サーキュレータの風が当たっている部分がどこからどこまでかまできちんと感じ取ることができた。足の裏の皮膚に触れている靴下の布地の糸のからみあっているようすとそこに含ま
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