植字の際に起こりうるミスとしてはそれほど稀なものではないのですけれども、たとえばいざ人に紹介しようなどという時にはとっさにその例を見せることができないので備忘のために。 (『日本文学研究資料叢書 平安朝物語II』有精堂出版、1974年。142頁) どこに誤植があって、どのようにしてそのような誤植が起こったのか。(配点:10点)製版やDTPだったら起こりえないことですよね。
![活版印刷ならではの誤植 - Cask Strength](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/770c1093308caa49febce52ceed8299960c6b11d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fc%2Fconsigliere%2F20151203%2F20151203014742.jpg)
植字の際に起こりうるミスとしてはそれほど稀なものではないのですけれども、たとえばいざ人に紹介しようなどという時にはとっさにその例を見せることができないので備忘のために。 (『日本文学研究資料叢書 平安朝物語II』有精堂出版、1974年。142頁) どこに誤植があって、どのようにしてそのような誤植が起こったのか。(配点:10点)製版やDTPだったら起こりえないことですよね。
書こうと思っていてすっかり忘れていたネタをひょんなことから思い出しまして(現実逃避)。 ・・・特に共通した趣味の表れているのは国学者の蔵書印である。その中でも文字の上にその傾向が特にはっきりと表れていて、神代文字のもの、仮名のものが多い。神代文字の蔵書印では賀茂真淵・常世長胤・片岡寛光などのものが有名である。 (小野則秋『日本の蔵書印』臨川書店、1977年。40頁) 賀茂真淵の神代文字による蔵書印とはこんな感じのものです。御覧になったことのある方も多いのではないかと。 これは読めない。 そのなかで『日本書誌学大系 増訂 新編蔵書印譜 中』(青裳堂書店、2014年)が常世長胤の蔵書印を解読して釈文を示したのは流石だと思いました。 平田篤胤『神字日文伝』でわざわざ確認したのでしょう。この一手間を惜しんではいけないという戒め。 (http://archive.wul.waseda.ac.jp/k
一昨年、昨年と講師を担当した某ワークショップが、今年度は先方の財政難によって開催されなくなったので、用意していた2、3の教育的な小ネタは来年以降に持ち越しに。 小ネタはたいてい「こういうことをしてはいけない」という注意を与えるものでして、今回ご紹介するのもそれです。つい最近刊行された熊倉浩靖氏『日本語誕生の時代』(雄山閣、2014年)にも見いだされたので、御覧ください(多分、このネタ自体はお蔵入り)。 (216〜217頁) 古代東アジアの諸地域において、漢文の読み書きを学ぶというのは当時すでに成立していた古典の注釈――訓詁学――による解釈を受け入れることで成り立っていたのであって、原則として、漢字の運用は典籍の権威ある注や辞書の記述を離れてなされるものではなかったと考えるべきです。 壬申誓記石の最後にも「詩尚書礼伝倫得」(詩・尚書・礼・伝の倫を得)とありますが、こういった経典は伝統的な注釈
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