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ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (2)

  • 皿の上のリンゴ - 地下生活者の手遊び

    古くからの友人が高校で非常勤の美術講師をしていて、毎年新しいクラスを受け持つと必ずやる授業がありますにゃ。 自己紹介をすませ、授業の方針を説明し(特に、成績をつけるにあたり、他人の妨害をしない限りは授業態度はいっさい不問であることを強調する)、得意のトランプ手品を披露したりしたのちに、最初の授業が残り15〜20分くらいになると、こんなことを言い出すのだにゃ。 「美術って、遊びを商売にしているようなものだけど、学校ではそんなに遊んでばかりいると教頭先生に叱られてしまうので、ちょっとは絵を描いてみようか」 とA4のコピー用紙を配る。 「さーて、紙はいきわたったかな? それでは、わけた紙にちょっと絵を描いてもらう。これから黒板に書く条件で描いてもらうぞ。」 と、以下を板書する。 画材は何でもいい。鉛筆でもボールペンでもマジックでも、持っているものを適当に使うこと ただし、紙を見てはいけない。下敷

    皿の上のリンゴ - 地下生活者の手遊び
  • 保守派なら民族教育は公費で - 地下生活者の手遊び

    だいぶおそくなったけど、自由主義なら民族教育は公費で - 地下生活者の手遊び への応答に対する再応答ですにゃ。 民族教育以前の問題として 教育というのは、そもそもガキどもが将来において自分でえるようになるために行われるものですにゃ。また、ガキどもが大人になったときに、自分でえるようになってもらわなければ、社会の側も大弱りなので、教育を行うことは社会の側にもガキの側にもその親にとってもメリットがありますよにゃ。 そして、自分でうということは現実には他者との協働*1によるものであり、他者との関係性を基盤に行われる仕事というものが、僕達の幸福感の重要な源泉のひとつでもあるわけですにゃ*2。 つまり、教育を受ける権利・働く権利・幸福になる権利、というのはひとつづきのものであり、各人が教育を受け・働き・幸せになるということは社会全体にとっても必須ということになりますにゃ。個々人の幸福と社会全体

    保守派なら民族教育は公費で - 地下生活者の手遊び
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