日本の人事部の代弁者、野々村さんは、かつて勤めていた大手電機メーカーの本社人事部のスタッフとして、全国各地の工場や支社に出向き、早期退職制度について説明して回った経験がある。 当時バブルが崩壊して日本全体が不況で、日本の大手企業は負債、設備、人員の3つの過剰に苦しんでいた。業績も軒並み低迷し、野々村さんが勤める会社も大幅な赤字で、新聞紙上に取り上げられた。 1990年代半ばになり不況が長引くと、野々村さんが勤める会社は、本社や支社の一般職で非正社員を増やすとともに、50代以上の中高年社員を対象に、早期退職制度を取り入れたのだ。 建前では早期退職への応募は社員本人の意思に任されていたが、実態は会社側からの退職勧奨も行われていた。退職勧奨をするにあたり、本社人事部ではこれまでの人事考課データを見返して、「残ってほしい人」と、会社や上司の目から見た“問題社員"も含め「残ってほしくない人」を峻別し