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考察と事件に関するibulingのブックマーク (5)

  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 性犯罪において、加害者の欲望はあらかじめ肯定され、被害者の人権はあらかじめ蹂躙されている

    初めて痴漢に遭ったのは初潮を迎えるより遥かに前だったと思う。といっても、わたしにそれがきたのは中三になってからで、ひとよりだいぶ遅かったのだけれども。9歳だったろうか、10歳だったろうか、とにかくそれくらいの歳だ。屋で立ち読みをしていたら下半身を触られた。触り方が露骨だったので、おぞましいことと理解した。だがそれ以前にも、そのようなことはあったかもしれない。しかも幾度も。どういうことかというと、わたしはその屋でよく立ち読みをしていたのだが、そうしているときに後ろから覆いかぶさるようにして棚からを抜く男がいた。そしてそのまま、つまり身体を密着させたまま、男もそこでそれを読む。わたしが移動するとついてきて、また身体を寄せてくる。おかしいとは思っていた。だが、性的なものという認識はなかった。しかし、そのとき、スカートのなかに手を入れられ、下着の上から下半身を触られて初めて、わたしは理解し

    ibuling
    ibuling 2008/02/17
    なんか昔痴漢にあった時に母に話したら「隙があるからだ」って言われてショックだったのを思い出した(´・ω・)随分前から痴漢同士の情報交換ネットワークみたいのが発達してるらしい。そんな奴等死ねばいいのに。
  • 人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2 明日はわが身

    弱かったり 運が悪かったり 何も知らないとしても それは何もやらない事のいいわけにはならない そんなzak_mustangプレゼンツなblog いまさらですが山口母子殺人犯の福田孝行、死刑の可能性が限りなく高くなりましたね。最高裁自身が判決を下さなかったのは残念ですが。 山口・母子殺害 「無期」破棄差し戻し 最高裁 元少年、死刑の公算(Yahooニュース) 山口県光市で平成11年4月に起きた母子殺人事件で、殺人罪などに問われた当時18歳の元会社員の被告(25)の上告審判決が20日、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長=退官、上田豊三裁判官代読)であった。第3小法廷は「罪責は誠に重大で、特に斟酌(しんしゃく)すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない」として、無期懲役を言い渡した2審・広島高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻した。 この事件、犯人の異常性(殺害後死姦、乳児殺害)も去ることな

    ibuling
    ibuling 2007/06/25
    1年前なんだね(´・ω・)なんか、この裁判どうなるんだろう(´・ω・)
  • 上尾事件

    毎日のように首都圏で繰り返される痛勤、いや通勤戦争。日の鉄道ラッシュと言えは世界に類を見ない混雑ぶりで有名である。 日々、満員の車内で足を踏まれ、揉みくちゃにされながらも文句一つ言わずに耐えてきたサラリーマン達。 昭和48年3月13日、遂に彼らが通勤ラッシュに叛旗を翻し、国をも動かす大暴動「上尾事件」を引き起こした。 昭和48年3月13日火曜日の早朝、国鉄(現在のJR)高崎線上尾駅では普段よりも多い約3000人の通勤客でごった返し、東京方面へ向かう上り普通電車を待ちわびていた。 以前より人身事故や車両故障で電車が遅れることが恒常化し、車内は常にすし詰め状態。それに加え、ここ数日は順法闘争による影響で時刻表通りに来た例はなく、混雑を見越して普段より1時間も早く駅に来る乗客が多かった。 そして午前7時20分、定刻より20分遅れで籠原発上野行きの上り普通電車が1番線ホームに滑り込んできた。 し

    ibuling
    ibuling 2007/06/06
    昔は本数少なかったからね(´・ω・)人口の増加に電車の収容率がついてけなかった上に、ストじゃあね(´・ω・)
  • しずちゃん

    ibuling
    ibuling 2007/05/18
    「しずちゃん」の御殿場スレ(´・ω・)
  • あの叫びはプロのものだったのか - トラッシュボックス

    DHさんのブログ「思い付くまま雑感文」の記事で、『朝日新聞』に以下のような記事(魚拓)が載っていたことを知る。 私は朝日の購読者なのだが、見落としていたようだ。 《最近、最高裁の法廷から消えたものがある。 傍聴席の死刑廃止運動家らが、死刑判決言い渡し直後に「人殺し!」と叫ぶ場面だ。最高裁判事らが被告の生命を奪う最終判断をした、という抗議の意味を込めていた。 その言葉を叫ぶために30年前から法廷に通った菊池さよ子さんは「死刑判決が月に何度も入るようになり、法廷は機械的に判決を出す場になった。被告との関係を一つひとつ築くのも難しくなった」と話す。「訴えれば通じるかもしれないという裁判官がいなくなった」。74~83年に在職した団藤重光さんが決定的に死刑廃止論者になった契機は、傍聴席から菊池さんが投げかけた言葉だったとされる。》 団藤は戦後の刑法学の権威。東大教授を定年退官後、最高裁判事を約9年間

    あの叫びはプロのものだったのか - トラッシュボックス
    ibuling
    ibuling 2007/03/09
    ?????どういうことなんだろ???そもそも、最初に被告が人を殺さなければ、死刑判決なんて出ないワケで…(´・ω・`)冤罪もゼロではないのカモ知んないケドさ(´・ω・)
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