ベルギー・ディルビークで結婚式を挙げた自転車ロードレースのレムコ・エベネプール(左)とウミ・ハヤンさん(2022年10月7日撮影)。(c)JASPER JACOBS / Belga / AFP
100年前の過去「面白い」 現在は人文科学系の学術出版社である「人文書院」。その2代目にとって、創業者が当初主宰していた日本心霊学会は「隠したい過去」だった。 しかし、創業者宅の「開かずの蔵」で日本心霊学会の大量資料を発見した3代目社長、渡辺博史さん(62)の受け止めは違った。 「もう100年もたっているし、ある意味では面白いとさえ思った」 2013年の年末、資料発見の直後に会社名義のツイッターでそのことを公表すると、すぐに研究者から反応があった。 反応したのは龍谷大学の吉永進一客員研究員(宗教学)。舞鶴工業高等専門学校の教授を務めながら長く宗教学を研究している吉永氏は、実は1980年代、京都大学の学生だった頃に、人文書院の編集者に電話をして、日本心霊学会について資料はないか問い合わせていた。その際は、色よい返事が得られなかったという。 研究者の執念、資料閲覧 30年越しにツイッターで発見
2010年代初頭にブラジルの新世代が発見され、「ミナス新世代」として日本に紹介された。そのきっかけはマルチ奏者のアントニオ・ロウレイロ。彼の音楽の新鮮さはすぐにリスナーの間に広がり、彼と共演しているブラジルの同世代の豊かな才能たちが芋づる式に発見されていった。彼らの何人かは来日も果たしたし、アレシャンドリ・アンドレスやハファエル・マルチニらに関しては日本盤のリリースもあった。2010年代半ばには現代ジャズの最重要人物の一人でもあるギタリストのカート・ローゼンウィンケルが自作『Caipi』にアントニオ・ロウレイロ(とペドロ・マルチンス)を起用したこともあり、ジャズ・リスナーにとっても広く知られるようになった。 そんなアントニオ・ロウレイロらのコミュニティの中でも鍵盤奏者で作編曲家のハファエル・マルチニは中心人物のひとりと言っていい存在だった。グルーポ・ハモ『Ramo e a Liberdad
当記事は資料・証言篇『暗殺、統一教会追及、国葬──記録と証言で振り返る80日間』をもとに、9月後半と新たに10月に行ったインタビューで再構成しました。なぜあのとき、あの話題が取り上げられ、どのように人々の感情が誘導されたか。こうした感情はどこへ向かったのか。対談形式で考えます。 構成・タイトル写真 加藤文 業界関係者との会話■瞬く間に教団追及へ──あなたをテレビや雑誌、新聞の実情を知る人物と紹介すればよいだろうか。 「メディアの広告スペースを売り買いする、こうした取り引きを広告代理店側からと媒体側どちらも経験してきた。いまは調査とマーケティングの仕事をしている」 ──まず7月8日の暗殺事件を「どう見たか」からはじめよう。 「レギュラーの番組が報道の特番で飛んで差し替えになるなと瞬間的に思った。テレビの事情だけでなく、ここまでくると世の中が通常運行ではなくなる。どうか連鎖的におかしなことが起
論点がずらされ、意図的な停滞で何ひとつ進展させず、感情がひたすら煽られて、この一連の動向が国葬によってとどめをさされた80日間でした。 7月、8月、9月におこったできごとの要点をまとめて、それぞれに記録や証言を付随させました。まとまりのある読み物としてではなく、状況が変化する様子や、これらの原因を理解するための資料をめざしています。 常に未完であり、公開後は必要に応じ記事に手を入れるつもりです。 12,000文字相当の記事なので、お急ぎのかたは各章冒頭の太字部分「要点」を順にお読みください。図版だけ見るという使い方もあるでしょう。各図版はタップまたはクリックすることで拡大できます。 ■論点がずれていった7月 ■何ひとつ進展させないままの8月 ■国葬がとどめとなった9月 ■当事者たちが見た結末 以上4章構成(2022.10.3公開時)です。 更新/ 2022年10月8日 当記事で採用した証言
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