「不自由が執着を生み、執着が言及を生む」という構図について、忘れないうちにメモ。 身体的に健康な人は、一般に、空気を吸うことに執着しない。“もっともっと空気が吸いたい”と嘆き悲しむこともない。そりゃそうだろう。空気なんて、生まれた時から無尽蔵に与えられているのだから。そして空気の無い状況に置かれてはじめて、空気の有り難さに気付く。 同じように、コミュニケーションに不自由したことの無い人は、一般に、コミュニケーションにそれほど執着しない。“もっともっとコミュニケーションに恵まれたい”と願望することもない。生まれた時からコミュニケーションに不自由していない人は、それが絶たれてしまうまでは問題意識を持つことすらない。ましてや、執拗に言及しようなどとは思わない。 男女交際に関しても、多分、似たような構図があるのだろうと思う。男女交際に不自由したり悩んだりした経験がなければ、そこに問題意識を持とうと