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精神に関するidiのブックマーク (6)

  • こういうのついてけない自分がいる - finalventの日記

    ついけたらそれはそれでキンモーだろうけど。 ⇒何かのスペース。: もう一生女なんて信じない その1 女クラスと個別の女の誤解があるように思うけど、まあ、そういうメタな話は無意味でしょう。 こういうのを延々と議論できるのがすごいなと思う。 若さ特有の孤独かもだし、この手の孤独は40歳くらまで続くもんだし。 女と向き合っているというか、長く生きているとどうしても諸処に向き合うし、なんとなく女クラスを思う。そして現実の女インスタンスは女クラスを継承してはいるのだけど、そこがなんとも奇妙。 男が、どうしても、僕ちゃん=子供=正しい世界はどこどこ、というメタモードと、やりたい=やりたい=性欲というモードがあって、実際のところ男なんてそこがうまく切り替えられないというか、切り替えられる一群の男たちに、ああはなれねー、ああなるのはやだ、と思っている。 どっかに純愛指向とか、あるいは純愛なんてケとかいいな

    こういうのついてけない自分がいる - finalventの日記
  • いわゆる恋愛の障壁は自己愛だろうと思う - finalventの日記

    人というのは自己愛からあまり免れない。当は、この世界でその自己愛を鏡像のように確信したいという欲望を持っている。知的な人は知的みたいなことをほざいて、頭がいいと見られたい。そんなもの。 だから、恋愛というより、ボクだけが内緒で知っているこんな素敵なボクちんをわかってくれるのはどこの誰?みたいな、ケロロになった王子様的なことをしている(これが現実ではけっこう他人から見ると不毛な努力マッシグラ)。でも、ケロロはケロン人。蛙は飼える(ちゃんと管理しよう)。 じゃ、自己愛を捨てちゃえば、いわゆるモテ状態になるのか? なるよ。ヤクザの女の落とし方というのを薄めてマニュアル化すると効果的。 あるいは、己を知り敵を知れば百戦危うからずで、落とすべき相手(女)もケロン人だと思えばいい。つまり、女のほうでも、ワタシだけが内緒で知っている素敵なワタシをわかってくれる白馬の王子様などこどこ?と思っている。もち

    いわゆる恋愛の障壁は自己愛だろうと思う - finalventの日記
  • 自分を騙すための微妙な嘘について - finalventの日記

    詳しくは書かない。詳しくは書けない。 自殺の多くが、実際には、意識内の他者性の分裂で、その他者から死を命じられるものではないかと、ちと書いた、その補足。 人の意識というのは無意識の大海を小舟のようにたゆたっているように私は思う、というか、私は自分の意識の大半は無意識だと思うし、無意識というのは身体(内臓とかも)の意識でもあるし、それは私の祖先たちがある意味で生きて意識している場でもあるとは思う。まあ、キンモーなこと書いているようだが、これは慣れるととても自然なもの。 ほいで、意識を静かに見ているというか、静かでなくてもいいのだけど、意識のなかで、抑、嫌悪、恐怖、孤独、悲痛、自己憐憫、といったある感情=存在があるとき、それは意識のなかで、自我意識がそれを対象化していることの告知として現れる。 ところがこうした初存在はある気分のようなものに包まれていて、まあ、ハイデガーのいう気分とは存在なの

    自分を騙すための微妙な嘘について - finalventの日記
  • 死にたい若い頃 - finalventの日記

    この話はなんども書いたような気がする。 生きているか死んでしまったかというのはけっこう偶然だったりするし、なかなか、その後の人生というのはむずかしい。 どう考えても、生きることに適性のない人間というのがいるとしか思えない。というか、これはけっこう薄く広がっており、多層的な生活能力で覆われているのだろう。うまくいえないが、そう少数の分布ではないのだろう。 とか思うのは、なぜ人は、救済だの宗教だのを求めるのだろう。こんなことを私が言うと苦笑される人もいるだろうがまあ、苦笑されるかたは私がどれほど反宗教的な人かわかってないのだろうと思うのでしかたがない。安易に理解してくれとも思わないし、率直に言って理解しないでよいとも思わないのはこんなことをうじゃっと書いていることでもわかる。ま、私は世界の片隅で孤独を叫ぶではある。 で。こういう宗教だの盲信だのに少なからぬ人が精神支配されている、というのは、そ

    死にたい若い頃 - finalventの日記
  • 憤怒の表情 - うどんこ天気

    学生の間、福祉施設でアルバイトをしていた。そこにネグレクト(育児放棄)虐待を受けた子が居た。小学生だったが同じ年齢の子供より3〜5歳小さく見えるような発達のしかただった。小さい程度ではなく明らかに異常だった。表情と言う表情が全くなかった。発語も殆ど無い。自由時間はそれぞれの部屋に仲良しの児童で集まって遊ぶのだが、この子は常に誰も居ない部屋に、一人で行って、風船を上に上げて落ちるのを見るだけ、と言う遊び(?)をしていた。無表情。見ているのは風船だけだった。何年かしてその子が始めて覚えた表情は「怒り」だった。憤怒と言っていいほどの、激しい激しい表情だった。配膳室のおばちゃんがそれを知って「怒るなんてねえ」「笑うとかの方がいいよねえ」「その方が自然だよね」「みんな笑う方が怒るより気持ちいいじゃない、ねえ」と言った。私とその場にいた職員さんは「そんなことを、言わないで下さい」と話した。 その子は人

    idi
    idi 2006/09/20
  • 東京都精神医学総合研究所 - 統合失調症研究チーム

    メヂカルフレンド社 『クリニカルスタディ』 2004年 11月号 (Vol.25 No.13) より転載 統合失調症の理解 統合失調症は,幻覚や妄想を主症状とする代表的な精神疾患です。発症率は100人におよそ1人と頻度が高く,この割合は甲子園球場が満員になったとき,530人がこの病気だという計算になります。そのため統合失調症は,高血圧や糖尿病といった生活習慣病と並んで「ありふれた病気」と呼ばれています。 つい最近まで,統合失調症は「精神分裂病」と呼ばれていました。しかし,2002(平成14)年の日精神神経学会総会で「統合失調症」へと改められました。この病名変更は,「精神が分裂する病気」という語感が否定的で偏見と差別を助長するとして,1993(平成5)年に全国精神障害社家族連合会が日精神神経学会へ要望を提出したことがきっかけでした。学会に小委員会が設置され検討された結果,病態の

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