酉の市の売れ残り
■メガネ萌え? 女子によるメガネ男子萌え公言を批判している男子諸君は、男子によるメガネ女子萌えとかメイド服萌えとか髪が長い女がいいとか処女がいいとか不細工女は嫌とか、そういった類の、今までさんざんやらかしてきた「萌え」や「嫌」の公言についても批判すべきだな。 逆に、好きなものを好きといって何が悪いのか、面白いんだからいいじゃないか、しょうがないじゃないかという考えの人は、自分が品定めの対象にされる(品定めの場で問題にすらされないことも含めて)ことにも文句を言うべきではない。つうか立場上言えないだろう。 個人的には、好きなんだからしょうがないとか、好きなんだからいいじゃないかといった考え方は好きじゃない。「好き」という気持ちが高じてやったことなので許してくれてもいいじゃない、大目に見てよ、という態度は嫌い。一種の思考停止だしさー。 以前ある芸能人が好きで同じ人のファンと交流していたとき、掲示
市川哲史『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』ISBN:4812421918おもしろかった。大槻ケンヂ、YOSHIKI、SUGIZO、キリト、ライターの大島暁美の各氏と市川哲史が、ヴィジュアル系について対談している一冊。結局田舎ヤンキー文化のあつまりで、それに属したくなかった黒夢・ラルク・GLAYはつまり、本当のヤンキー出身ではなかったというだけだったんだろうな。音楽がとかファッションとかはどうでもよくて。どのバンドにあこがれたか、というのだけとると、SUGIZOも清春もhydeも同じバンドあたりを挙げていたから。それまで大人たちがセンシティブに成熟させた東京の音楽文化が、彼らみたいな田舎ヤンキーに陵辱されてショックだったから、なかったことにされているのかな。でもビジネススキームとか、97年のCDセールスのピークとか、そういう土壌を作った彼らの音楽産業への貢献度は大きいんだろうなと読みながら
「スクールカースト」は、言葉の定義からして「学校」に場を限定しているが、「職場」「恋愛市場」といった環境においても(学校ほど頻著ではないにしても)「人気のヒエラルキー」は存在する。こうしたすべての「人気のヒエラルキー」に対し、「広義のスクールカースト」としてこの用語を適用する場合もある。
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