→紀伊國屋書店で購入 「相撲はただ伝統的ではない」 震災と原発の問題で忘れられているが、ほんの少し前まで、大相撲の八百長問題がメディアを賑わせていた(ここ数日処分決定に関する報道がされているようだが)。そこでは大相撲が、スポーツなのか、それとも神事なのかが頻りと議論されていた。むろん私は、大相撲をスポーツであると決めつけ、居丈高に八百長批判を繰り返したメディアに対して共感するところはなかった。しかし、相撲は五穀豊穣を祈って催される神事なのだという(ある意味まともな)批評家たちの相撲擁護論にもいささか首を傾げざるを得なかった。なぜなら、そういう伝統的な神事としての相撲を、もはやこの社会の人びとは必要としていないように思うからだ。お相撲さんに、四股をドスン、ドスンと踏んでもらって、豊作でありますようにと一緒に願うような農民的な呪術的感覚を私たちは失っている。だから、相撲は神事であるといくら説明
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