2009年5月28日のブックマーク (2件)

  • 2009-05-27 - 1976腐女子 ■栗本薫、死去

    作家、栗薫さんが死去 … 栗氏が作家活動をはじめた1976年に私は生まれ、小学校の頃に最初に彼女の作品を読みました。 中学校の頃、彼女の作品は手当たり次第読みました。 大学生くらいまで、全てとは言わないまでも、かなりの作品を追って読んでいました。 私は当時(とくに中学生の頃)、彼女がまるでいつも何かに飢えているかのように吐き出す奔流のような作品の渦をって生きていたと思います。 日語が変でしょうか?でもそうだったのです。 やがて現在、私は遂にグインの流れから離脱、最新の作品はあまり読んでいません。 読んでいるのが辛くなったのも事実です。 でも、何で死んだんだ。もっと生きて、もっともっと現在の読者のために書いてほしかった。 冥福なんて祈れない。もっともっと生きていてほしかった。なんで死んだの… もっと書いていてほしかった。もっとずっと書いていてほしかった。ずっと。 *もしまだあまり彼女

    2009-05-27 - 1976腐女子 ■栗本薫、死去
    ier135
    ier135 2009/05/28
  • 作画オタより声優オタが優れているたった1つの理由

    もったいぶるのもバカバカしいので先に答えを出してしまうと 「作画は作品の良し悪しに直結しないけど、声優は作品の良し悪しに直結する」 これに尽きる。実にシンプルかつ真理。 いくら作画がよくても、キャラデザや前後の文脈とかけ離れたものであれば全くキャラクターの魅力に寄与しない。その点声優は、いい演技がそのままキャラクターの魅力になってくる。 ムントにしろ屍姫にしろ、神作画が糞声優で失敗作になった例は数え上げればきりがないけど、逆に神声優が糞作画で失敗作になった例はここ数年では見たことがない。全ての作品を確認したわけじゃないからひょっとしたら存在するのかもしれないが、少なくとも「探さなきゃない」レベルであることは確か。 つまり、いくら作画の良し悪しを議論しても、声優の演技を議論しなきゃ意味がないってこと。そもそも作画オタなんてのは「いい作画」さえ見れればキャラデザなんて気にしないし、下手すればシ

    作画オタより声優オタが優れているたった1つの理由
    ier135
    ier135 2009/05/28
    それならコンテオタ最強だろ。さきまくらも富野も「コンテのできはアニメのできの70パーセントに相当する」って言ってる。