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文化とあとで読むに関するiguchitakekazuのブックマーク (2)

  • 中世~近世ヨーロッパ、庶民の暮らし:哲学ニュースnwk

    2011年09月11日19:35 中世~近世ヨーロッパ、庶民の暮らし Tweet 1:世界@名無史さん:2011/04/08(金) 09:40:45.25 ID:0 服装とか事とか文化とか 語れたらいいんじゃないかな 4: 世界@名無史さん:2011/04/08(金) 18:08:39.28 ID:O 西洋人って近代に入るまでは基的に手掴みで飯ってたよね 6: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/04/10(日) 16:56:38.48 ID:0 >>4 北ドイツ田舎では、1950年代までテーブル中央の大鍋・大皿から杓子 で銘々の皿にとり、手づかみでとってべる習俗が残っていたそうです。 テーブル中央から、たれた汁が線となるのがお決まりの光景であったとか。 基的に、オーストリアに近いほど各自の皿に 最初から取分けておくこととフォークの使用率が高か

  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

    日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
    iguchitakekazu
    iguchitakekazu 2011/03/04
    宗教の違いなのか文化の違いなのか。まあ実際に違うのかもわからん。というか、ラヴクラフト読んでないなあ
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