1923年(大正12年)に再び有志らが鉄道敷設の認可を得て、銚子鉄道株式会社を設立し、同年7月開通を見た[6]。路線も新たに犬吠から外川まで延長敷設された[6]。以下は開通直前に行われた試運転の試乗記を掲載した東京日日新聞の記事である[7]。 銚子、仲の町、観音前の停留所を過ぎて本銚子小学校裏手に差しかかると五十分の一のカーブになった幾分は遅くなったが、あたりの眺望がだんだんよくなって来る。いらかのつらなる銚子の町を越えてゆるく流るる坂東太郎が左の窓に浮かぶ。本銚子停留所を過ぎると坦々たる麦畠がつらなり左手は点在した松林をすかして無線電信所の柱や利根河口が絵のように展開する。(中略)銚子唯一の海水浴場、海鹿島にも停留所がある。犬吠灯台のある犬吠にも停留所が設けられた。仙ヶ窟や酉明の浜、又は長崎ノ鼻、外川浜、君ヶ浜などの奇景をあつめた銚子の海にはこの鉄道の開通によってどの位喜びをもたらすこと
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