![Amazon.co.jp: 不平等の再検討: 潜在能力と自由: アマルティアセン (著), 池本幸生 (翻訳): 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/201bf1b64a7c24e37bb9e8a1ed4a2203060d15d7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41%2Bj04m6vZL._SL500_.jpg)
「選択の自由」が排除する人々 - 過ぎ去ろうとしない過去のコメント欄 および 究極の不平等という平等の可能性 - よそ行きの妄想のコメント欄にカキコしましたにゃ。 で hokusyuはルールから零れ落ちるもの、あるいは配慮 - 過ぎ去ろうとしない過去というエントリもあげていますにゃ。 そのあたりをいろいろと 「選択の自由」は欺瞞なんです。 中略 ちなみにぼくは機会平等だけじゃぜんぜんだめで、結果平等じゃなきゃいけないと思ってます。左翼なので。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080302/p1 機会の平等は、機会が完全に均等に保障されるルールが成立した時点で「終わり」です。まあ、機会の均等を維持していく努力は必要かもしれませんが、基本的にはルール成立の時点で敵対関係は解消され、全員が等しいルールのもとで「競争」していくことになります。 中略 たとえば、機会均
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