タグ

mrjに関するihokのブックマーク (3)

  • 八方塞がりのMRJ、だからこそ前を向け

    四戸 哲(しのへ さとる)有限会社オリンポス代表取締役。1961年、青森県三戸郡生まれ。小学生時代に見た三沢基地でのブルーインパルスのアクロバット飛行を見たことが航空エンジニアを志すきっかけとなった。学生時代のヒーローは航空エンジニアの木村秀政氏。高校卒業後に木村氏が教授として在席している日大学理工学部航空宇宙工学科に入学し、日大航空研究会に所属。卒業後、日には極めて珍しい、航空機をゼロから設計する会社としてオリンポスを創業。木村氏を顧問に迎える。以後、軽量グライダー、メディアアーティスト八谷和彦と、『風の谷のナウシカ』に登場する架空の乗り物「メーヴェ」を模した一人乗りのジェットグライダー「M-02J」(こちら)の機体設計・製作を担当。国産初の有人ソーラープレーン「SP-1」、「95式1型練習機(通称・赤トンボ)」の復元プロジェクト、安価な個人用グライダーの開発・製造を行っている。 松

    八方塞がりのMRJ、だからこそ前を向け
  • 「零戦おかえり」 日本の空でテスト飛行に成功

    零式艦上戦闘機(零戦、ゼロ戦)のテスト飛行が1月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県)で行われた。離着陸の様子はニコニコ生放送で、「パイロットカメラ」と「地上カメラ」の視点からライブ中継された。 「零式艦上戦闘機 里帰りプロジェクト」と題し、零戦を飛行可能な状態で保存する取り組み。計画を進めるゼロエンタープライズ・ジャパンの石塚正秀取締役が、米国に保有する機体を国内に持ち込んだ。日人が所有する零戦が国内で飛行するのは、戦後初の試みだという。 初飛行は27日午後に実施。米国のパイロット、スキップ・ホルムさんが操縦かんを握り、プロペラ音を響かせながら、午後2時12分ごろに鹿屋航空基地を離陸。基地周辺を7分ほど旋回した後、同基地に着陸した。 その後も休憩を挟んで、2度目の飛行に成功。機体は28日以降、鹿児島空港に移される。移動後のイベントなどの予定は未定だという。 飛行後の会見で、石塚さん

    「零戦おかえり」 日本の空でテスト飛行に成功
  • 日本製の民間機は再び世界に羽ばたけるか:日経ビジネスオンライン

    1962年8月30日、第二次世界大戦後、初となる国産旅客機「YS-11」が名古屋空港から初飛行した。そして2015年11月11日朝、2番目となる国産旅客機「MRJ」が、同じ名古屋空港から飛び立った。 MRJは安村佳之機長、戸田和男操縦士、他3名の計測担当技術者が搭乗して、県営名古屋空港から離陸。太平洋上の防衛省訓練空域で、左右の旋回、上昇、下降、および着陸の模擬飛行を実施したのち、午前11時2分に同空港に着陸した。脚は飛行中も下げた状態で固定。主翼のフラップとスラットも下げ位置で固定。最高速度は時速280km、最高高度は1万5000フィートだった。安村機長は初飛行後の記者会見で、「着陸模擬時に気流が荒れたが機体は安定しており、機のポテンシャルの高さを感じることができた」と語った。 これからは主に米国内で型式認定のための飛行試験を進め、2017年春からカスタマーへの機体納入を開始する予定だ。

    日本製の民間機は再び世界に羽ばたけるか:日経ビジネスオンライン
  • 1