タグ

2007年4月26日のブックマーク (5件)

  • まあ、続きというか - finalventの日記

    どんなに悲しいことでも、今悲しいのでなければ(という言い方が曖昧だけど)、悲しかったのは過去だ。死別も、傷つけられたことも過去。 そして、たいていは、悲しいというのは、過去を悲しむ、というか、記憶を悲しんでいる。もっと正確に言えば、不在を悲しむ。悲しみの対象は、無だ。 しかし、実際の悲しむというのは感情のエネルギーだし、むしろ身体的を巻き込む情念に近いものだが、過去=不在を悲しんでいるとき、実は、こっそりと思考はトラップを嵌めているから悲しみが知覚される。 思考は、過去をこっそり修正しようとして、それができなくて、感情を巻き込んで、悲しませている。 それは過去なのだ、不在なのだ、どうやっても取り戻すことはできないのだと、いくら思考的に理解しても、たぶん、思考はそれでもこっそり過去を修復しようとする。未来において、達せられなかった、傷つけられた過去を、修復しようとする。 (愛されたかった、と

    まあ、続きというか - finalventの日記
  • 世の中心に傷なんかなくてさらっと生きている人もいて - finalventの日記

    マルコ青年とかそうかな。 まあ、うらやましい限りなんだが、さて、結局、それって「私」が私であって「誰か」じゃないっていう奇妙なトラップのなかにある。 心の傷というかそういう過去の記憶が実際にはイコール「私」という意識になっているし、そういうからくりというか仕掛けでこの社会のなかで自動運動するようにぶちこまれているわけで、なんつうか、その手の「私」が引き起こす各種の問題とか、恋愛とかどさくさで言うわけだが、それって、なんつうか、一種の自動運動なんだよな。 人とか回りの人間とか、べたな悲劇なんだけど、なんつうか死に目視線で見ていると、あーそりゃ、そういう書き割りでそういうキャラ設定ならそういう悲劇になるでしょ、で?みたいな。 話が違ってきているが。 で、世の中心に傷なんかなくてさらっと生きている人もいて、しかもの能力もあってよさげなんだけど、それて、「私」からすると、絶対に届かない「他人」、

    世の中心に傷なんかなくてさらっと生きている人もいて - finalventの日記
  • はてなQ 人生一からやり直す方法 - finalventの日記

    人生一からやり直す方法はどんなものがあるでしょうか? - 人力検索はてな これね。 50歳になってみると、あれなんですよ、30歳ちょいくらいのときで、人生一からやりなおしておけばよかったなっつうのはあるわけで、そういう点から言うと、うじゃうじゃ言ってねーで、とにかくやり直せ、なんだろうけど。 じゃ、50歳(実はちょい手前)の私が、人生一からやり直せるかというと、気分的にはほぼ絶望。ただ、それでも、あと20年くらい生きていたら、あん時なぁと思うのかもしれない。 まあ、いわゆるリセットとかの議論はさておき。 人生一からやり直すというとき、その主体の自分っていうのが、けっこう自分じゃないんだよね。家族とか友人とか利害関係とか、だから、ご人様だけがやり直す気マンマンでもなかなかそうはいかない、と。 それと、記憶。 どうも、「私」というのは、基的には記憶と同義語なんで、人生一からやり直すなら、

    はてなQ 人生一からやり直す方法 - finalventの日記
  • 徴兵制 復活?

    のユキとかね。 女の子と限らないけどね。 50歳にもなってみると、今の感情の根っこが、あの少年少女時期っていうか、あの頃の、つらさや悔しさというかいろんなことに関係しているみたいで、まあ、傍目には適当に生きていてもけっこう内心シビアだった後遺症がイコール人生みたいなものかなと思う。 結論からいうと、そーゆーのこそ運命ってやつで、どうしようもないのだけどね。 些細な、ごく些細なことで言うならという大限定なんだけど。 あの時期の子どもに対して、普通の大人が向き合えるとよいと思う。なんつうか、教育関係者とか、偉っらそーなこと言っている大人とかじゃなくて。マジでべたな大人というか。まあ、そういう文学は他にもあるのだろうけど。 なんつうか。 人生、過去のなんちゃらを克服してとかよく言われるが、どうも、克服なんてものはできないんじゃないか。克服されるべきものなんて、自分が負うには重すぎです圧死です、み

  • 雨だ - finalventの日記

    目覚めながら、ひりつくような孤独感と、その孤独だけがいつもの自分じゃないかという奇妙な安堵感のなかで、身体自体の活力というか、あるいはいらだちのようなものが、少しずつ衰弱しているのを感じる。あるいはいらだちの形を変えるのか。老いと愚かさの変奏という感じもする。雨音が美しい。 誰かに何かを伝えたい、となぜそう思うのだろう。何を伝えたいと思うのだろう。私が死んでしまうとでも?たしかにそのあたりのことはある。ただ、そこまで私は自分を中心には見ていない。慣れてしまったからかもしれない。 昔読んだオーディン詩、今はもう忘れてしまったが、人々が普通に暮らしているその天界の片隅で誰一人気が付くことなくイカロスが失墜するというような下りがあった。そういえば私は雨の日に旅立ち、雨雲を抜けて上空に抜けた空を見るのが好きだった。光だけがある世界に近いなにかをなぜ懐かしく思うのだろうか。

    雨だ - finalventの日記