廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と日本民衆の精神的付和雷同性 この廃仏毀釈という言葉を広辞苑6版から引いてくると はいぶつ‐きしゃく【廃仏毀釈・排仏棄釈】 (「毀釈」は、釈迦の教えをすてる意)明治初年の仏教排撃運動。1868年(慶応4)の神仏分離令などの神道国教化政策の下で、神道家などを中心に各地で寺院・仏像・仏具・仏典の破壊や僧侶の還俗強制などがおきた。 もとはと言えば、大陸の進んだ文化の象徴である仏教を導入するに当たり、「本地垂迹説:ほんちすいじゃくせつ」という理論を生み出し、仏教の神々が日本でその姿を現したのである、と日本古来の神々と一対一対応を必要とするほど仏教を好んでいたわけです。その流れの単純な帰結として「神仏習合」という仏教と神道が結びついた宗教施設が日本中に存在していたのです。 ここに、明治新政府は、「神道を振興させるため、仏教と切り離す」というだけの方針だったようですが、民衆