日本史に関するijiaro1のブックマーク (2)

  • 細川藤孝(幽斎)は文武芸術に通じた光秀の盟友~しかし本能寺後は

    慶長15年(1610年)8月20日は、文武両道の戦国武将・細川藤孝(細川幽斎)が亡くなった日です。 父は三淵晴員(みつぶちはるかず)。 名門細川家というだけでなく、政治や外交、合戦でも能力を発揮した、当代きっての才人であり、江戸期を通じて御家を残す礎を作り上げたのも藤孝がいたからこそです。 息子の細川忠興には、明智光秀の娘(細川ガラシャ)が嫁いでおり、当然、大河ドラマ『麒麟がくる』でも重要な役どころとなりました。しかし……。 能寺の変後、藤孝は光秀の協力要請を断ります。 結果、後の細川家繁栄に繋がるわけですが、いったい如何なる手立てで戦乱の難局を乗り切ったのか? 藤孝の生涯と併せて見て参りましょう。

    細川藤孝(幽斎)は文武芸術に通じた光秀の盟友~しかし本能寺後は
    ijiaro1
    ijiaro1 2014/04/22
    息子はそんなにヒドいの?その子孫の元首相は?
  • 衝撃の「日本3大偽物国宝」に認定されたのは、金印、頼朝、政宗(絡み) - 歴史ニュースウォーカー

    偽の歴史大好きな恵美嘉樹ですが、別に私が認定したわけではありません。きのう(2013年4月18日)発売の週刊新潮で、 「歴史教科書に書いていない 国宝の史実誤認と偽物疑惑」(菊地正憲) という刺激的な特集が4頁にわたって展開されています。 一つ目は、志賀島の金印(弥生時代)です。 =福岡市美術館HPより 江戸時代に「見つかった」のですが、正式な発掘ではなく、農民甚兵衛がたまたま見つけたという来歴の怪しいもの。 「金印偽造事件」の三浦佑之さん(古事記で有名)が、怪しいところをずらーと紹介。 ・甚兵衛の実在した記録が残っていない ・1700年も地中に埋まっていたのにほとんど傷がない ・福岡市が20年前に現地を調査したがそれらしい遺構はなかった などなど そんなわけで、実はもともと怪しいと思われたのですが「物だ!」となったのは、1950年代以降に、中国で似たデザインの金印が2つ見つかったからで

    衝撃の「日本3大偽物国宝」に認定されたのは、金印、頼朝、政宗(絡み) - 歴史ニュースウォーカー
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