菅直人首相にも仙谷由人官房長官にも歴史を振り返り未来を展望するためのイマジネーションや能力が欠けている。この談話は単なる自己満足に過ぎず、謝りたいから謝っている類のものだ。 日本を貶(おとし)めれば相手が喜ぶだろうという独り善がりに基づく談話であり、日本に対する祖国愛も韓国に対する真の意味での友情や友愛も全く感じられない。 20世紀初頭の国家間のせめぎ合いを、この談話のようにいとも簡単に、国と文化を奪った事例として記述してよいのか。これでは素人集団の外交そのものだ。加えて韓国の重圧になり、脅威を与え、韓国の国力を奪っている眼前の共通課題、北朝鮮には一言も触れていない。 韓国の未来を展望するうえで北朝鮮問題での日韓の協力こそ重要なのに、談話にはこうした視座は全くない。菅談話によって日本はもちろん、韓国の未来に展望が拓(ひら)けたり、可能性が広がることはない。