横浜の元町や中華街から運河を上ってほど近い現在の中村町のあたりはドヤ街だった。 関東大震災発生してすぐに、食料を確保するとの名のもとに、ある政治チンピラがこのドヤ街の労働者を糾合して「横浜震災救護団」という自警組織をでっちあげた。もちろん彼らは日本人である。そして、彼らがやったことといえば救護でもなんでもない。食料供出の名のもとに、民家や商店を武装して荒らしていたのだ。 関東大震災の朝鮮人虐殺を引き起こしたデマの出所を調べていた横浜地方裁判所は、これがこの風評のきっかけだったのではないかと結論づけた。 以上については、この震災の二つの悲劇、すなわち震災とその直後の大火、そして一般の民衆が殺戮に走った朝鮮人虐殺を丹念に検証した『関東大震災』に記録されている。 →『関東大震災』 吉村昭 -デマの出所と第二の悲劇 大火の悲惨もさることながら、このデマと群集心理による想像を絶する暴力の記録をつらつ