2010年4月25日のブックマーク (3件)

  • 非モテであるより、自分が絶対になりたくない男がモテる方が悔しい

    俺はいわゆる非モテだ。まあネットにはたくさんいる人種だな。小さい頃からずっとモテる経験をしてこなかったし、来世で頑張ろうと諦めも付いているから、若い頃と違ってそんなに悔しがることはなくなった。別に女がいなくても人生を楽しむことはできるからな。 それはいいのだが、自分が誰かと完全に入れ替わることができるとして、こいつにはなりたくないという男がモテるのは悔しい。自分に振り向いてくれないだけでも結構悔しいのに、その子は自分とはまったく違う男に強い関心がある。好青年だと思うやつがモテるなら悔しいけど祝福しよう。でも女をしょっちゅう口説いてはヤリ捨てしているようなやつが人気なのは納得できない。ネットでよく見るDQN嫌悪はこういう感情なのだろう。でも女が好きな男はそういうDQNだというのも事実だから受け入れないわけにはいかない。 優れた人物がいれば、妬むよりもその優れた人物に近づく努力をすべきだが、D

    非モテであるより、自分が絶対になりたくない男がモテる方が悔しい
    imi-x
    imi-x 2010/04/25
    「しない」人より「する」人の方が目立つからな。良くも悪くも。隠れイケメン心イケメンは見つけづらい。
  • 非実在有害図書 - 内田樹の研究室

    東京都青少年健全育成条例について基礎ゼミの発表がある。 「表現に対する法的規制」というものについて私は原理的に反対である。 ふつうは「表現の自由」という大義名分が立てられるけれど、それ以前に、私はここで言われる「有害な表現」という概念そのものがうまく理解できないからである。 まず原理的なことを確認しておきたい。 それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。 それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。 マリアナ海溝の奥底の岩や、ゴビ砂漠の砂丘に、あるいは何光年か地球から隔たった星の洞窟の壁にどのようなエロティックな図画が描かれていようと、どれほど残酷な描写が刻まれていようと、それはいかなる有害性も発揮することができない。 「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。 全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主

    imi-x
    imi-x 2010/04/25
    臭いものに蓋をする係の人たちは、残念ながら読んだり見たり考えたり出来ないから、この丁寧な解説を持ってしてもただ蓋をぶんぶん振り回し続ける。
  • Twitterは良すぎるのかしら?

    From Creating Passionate Users By Kathy Sierra 2007年3月 私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考

    Twitterは良すぎるのかしら?
    imi-x
    imi-x 2010/04/25
    どんな良いモノでもケチの付けようはあります。それが不要な人からの視点なら尚更ね。