政府の教育再生会議(06~08年)の設置に内閣参事官としてかかわった文部科学省のキャリア官僚から今春、東京都品川区立大崎中の校長に転身した。「生徒に日本文化の良さを感じてほしい」と入学式は和服姿で登壇、「子供たちが可愛くて仕方ない」と目を細めた。 瀬戸内の島に生まれ、高松市内に新設された高校に進み、校則を破って髪を襟元まで伸ばした。自他共に認める「個性の強い」生徒だった。 東大卒後の85年、旧文部省に入省。92年から約3年の三重県教委での勤務時、教員を民間企業などで1年間研修させる制度を導入、生徒の就職を巡っては、バブル経済崩壊直後とあって自ら経済団体に出向いて積極的に受け入れるようお願いして回った。「現場に近く、仕事の成果も目に見えた」と振り返る。 だが、本省に戻って役職が上がるにつれ書類審査や政治家との折衝に追われる日々。「自分の仕事がどう役立っているのか分からなくなった」。現場回帰へ