いまお笑いの業界では「人を傷つけない笑い」が一つのトレンドとなっています。「人を傷つける笑い」ではもう笑えない、と感じる人も多いようです。
![「人を傷つけない笑い」を目指す時、芸人である僕は「傷つける笑い」が支持されてきた理由を考えた](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/96d281fb0af8d9026fe5c8ff346761cae1c225ae/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5eeb36c3220000f52782ad9b.jpeg%3Fcache%3DQYsjrdkMsG%26ops%3D1200_630)
前作『The Last of Us』はビデオゲーム史上に残る、マスターピースであることが疑いようがない。ポストアポカリプスという典型的な世界観ではあったが、そこに静謐な感情描写と厳粛な暴力描写を持ち込みつつ、ロードームービー的な筆致で描くという新しい風を吹き込み、ふたつの孤独な魂が寄り添う見事なストーリーを仕立てあげていた。 一般論として、前作がマスターピースであればあるほど、続編のハードルは高くなる。同じことを繰り返せば「焼き直し」と批判されてしまい、逆に過度に前作と決別してしまうとファンが求めているものと乖離する。マスターピースを作り上げたクリエイターにとって、前作こそが大きな呪縛であり重荷だろう。『The Last of Us Part II』を終えて、こうして筆を取っている私は、前作『The Last of Us』がノーティードッグにとって、あまりにも高すぎた壁だったのだろうと想い
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