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  • 裁判員裁判で初の死刑判決は「一線を越えた」ことを意味するのではないでしょうか - Afternoon Cafe

    こんばんは やはり、来てしまったという感じですね。 >とうとう国家権力が一般市民をして他の市民に対し死の宣告をさせたのだ、・・・ まさしく、その通りでそれと同時に司法がその責任を放棄したに等しく、下級審とはいえ重大な問題を孕んでいます。 拙日記にこちらの記事のリンクを貼らせていただきました。 もし、差し支えがありましたらご一報ください。 私は私の専門分野でプロとして時に非情な判断をすることがありますが、きつい決断をする際に、心のバランスが崩れないのは、自分がその道で行ってきた膨大な努力が担保されているからです。そして、その道ではプロとしてアマチュアの手を煩わせない仕事をして当然の報酬を得ています。ですから、私は自分の専門以外の分野はズブの素人として、その道の人にお任せして、その人にお金を払っています。それが社会だと思います。裁判官は、その判断のもっともきつい部分を素人に丸投げしておいて、よ

    infobloga
    infobloga 2010/11/18
    裁判官だってあくまで国民の代理に過ぎない。死刑を執行しているのは、まさに国民だということを自覚することは、死刑の議論において重要。その点で裁判員制度は、有意義だと思う。
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