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こころと人間に関するinnate8のブックマーク (6)

  • 自分のみっともなさと向き合えない事

    結局、自分がどうしようもない状況に陥っている全ての原因は 自分自身の駄目さ・みっともなさと来の意味で向き合えていない事じゃないかと思えてきた。 例えば、やるべき事を先延ばししてしまうだらしなさ、他人に怒られたくないがためにその場しのぎで嘘をついてしまう癖、 疑問点を適当に放置してしまう事、他人にいろいろ言われたくないから報連相ができない事、 努力が一切できず成功だけ夢見てしまう事みたいな「駄目でみっともない人間」的な欠点が自分には大量にある。 それに対して、自分自身の根底には「俺は何だかんだ言っても根は誠実で真面目な人間だ」という考えと それに基づくプライドがあるから、欠点を自覚しているものの直視してプライドに傷を付けるのは避けたいと思ってしまう。 そこで、欠点を2ちゃんやツイッターでネタっぽく語ったり、他人への自己憐憫まみれの人生相談として喋る事で 「駄目な自分」というある種キャラ的

    自分のみっともなさと向き合えない事
  • 「運・根・鈍」の3つのうちでは「鈍」を身に付けるのがベストな選択 - 日日平安part2

    なにかで成功するには、運のよさ、根気、ねばり強さの「運・根・鈍」が必要だといわれている。しかし、「三つ子の魂百までも」といわれるように、持って生まれた性格の矯正や開運を待つだけでは心細い。「運」と「根」を牽引するためにも、まずは「鈍」を身に付ける努力をしてみるのが近道であろう。 「剃刀(かみそり)よりも鉈(なた)の切れ味」という含蓄ある言葉が私は好きである。鈍い切れ味が鋭い切れ味を上回る、という例えで、公私ともに多くの人間に接してきて、この言葉と重なる場面を何度も見ている。 また、この言葉ですぐに連想するのが、宮武蔵と佐々木小次郎の『巌流島の決闘』である。小次郎の死因は頭部強打による撲殺であった。 小次郎の操る長太刀に敵わぬと悟った武蔵は、剣の対決にこだわらなかった。「物干し竿」と称された小次郎の長太刀に対抗すべく、武蔵は削った櫂(かい)を武器にして、確実性のある破壊力で小次郎の頭にそれ

    「運・根・鈍」の3つのうちでは「鈍」を身に付けるのがベストな選択 - 日日平安part2
  • 人は何のために生きているのか。 - 自省log

    先日友人事をしている時のこと。基的にいつも下らない話ばかりしている間柄なのだが、その日は少しばかり真面目な話をしていた。友人が真剣な顔をしながら 「俺は生きているのではなく、死んでいないだけだ」 と語り始めたからだ。彼はちょっとしたボタンの掛け違いで不幸が連続してしまったタイプで、私個人としては誠実に頑張っている男だと思うのだが、人は思うところもあるのだろう。そんな彼は 「俺が死なないのは生きたいからじゃなくて、死にたくないからだ」 とも言っていた。彼は人生に迷っているのである。 「自分は何のために生きているのか」 その回答を明確にできる人間は少ない。 私も何のために生きているのかと問われたら、どんなに頭を捻っても膝を打つような回答はできやしないと思う。直接生産性のあることもしていないし、消費を繰り返して益の見えない生活を送ってばかりいるのだから。 人間とはそもそも何のために生きて

    人は何のために生きているのか。 - 自省log
  • 人生の9割が親で決まるんだったら僕は今すぐ自殺する - まつたけのブログ

    三日坊主って言葉の適切さは何なんだろうね?今日でブログ4日目なんだけど、見事に息切れしてやる気がしないwwwwwww でもまあ自分で決めたことだしとにかく少しでもなにか書かないとなあ、なんて思いながらネットサーフィンしていたら、「人生の9割は親で決まる」みたいな記事を読んで暗くなったのでとりあえず短いけどその愚痴を書いてみようと思う。 生まれも育ちも立場が違う人間を一方的に全否定する人たち その「人生の9割は親で決まる」みたいな記事自体は、大変ハッピーな物語で、やさしいママンと成功したパパンを持って俺は幸せ者だ、人生の9割は親で決まる!パパン、ママン、ありがとう!-完- みたいな話だった。めっちゃ暗くなった。 いや、誰かがしあわせだということはもちろん基的にはいいことだと思っていて、特に僕は自分が育った家庭というものに深い傷というか、コンプレックスを持っている人間なので、ツイッターなんか

  • 天才性と秀才性

    天才性はある事柄を学んだ時に感覚的に理解することができる能力で、 秀才性はある事柄を学んだ時に直感的な理解は得られないが、 一つ一つ段階を踏むことで理解することができる能力だ。 と仮定すると、天才性と秀才性にはある種の連続性が存在する。 天才性をエレベーターに例えるなら、秀才性は階段である。 この意味では誰もが天才性と秀才性を有する。 多くの人が1+1=2という決まりごとは直感的に受け入れることができるし、 ある程度の段階まではエレベーターに乗って進むことができる。 しかし多くの人が小学校中学校と進学するに連れて徐々にエレベーターを降りて階段を進まなければいけなくなるだろう。 だが階段を進むだけでもかなりの高さに到達することはできる。 高校大学あるいはそれ以上の段階までエレベーターで登っていけたとしても、 どこかの段階で誰しもエレベーターを降りて階段を歩むことになる。人間は全知全能でないか

    天才性と秀才性
  • 「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」が最凶な理由 : 404 Blog Not Found

    2012年06月02日00:45 カテゴリValue 2.0Psychoengineering 「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」が最凶な理由 この証明でも充分なのだけど… 「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺す: 不倒城 ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す 大事なことなので、別解も示しておきたく。 なぜ「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」は最強でなくて最凶か? ヒトとして最強でも、人間として最弱だからだ。 でも自分の頭使う以上に有用なのは、人様の頭を使えるようになること。ところが学校ではそれの逆やってる。そこ

    「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」が最凶な理由 : 404 Blog Not Found
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