ブックマーク / suumo.jp (10)

  • 小岩のイトーヨーカドーで教わった、自分が大人になったこと|文・古賀及子 - SUUMOタウン

    写真・文: 古賀及子 埼玉の実家から東京の短大に通っていた私は、入学半年ほどで通学に音を上げた。 実家は大宮とか川口といった東京に近い都市ではない、もっとずっと奥、気の埼玉だ。学校へは片道2時間。通えなくはない、でも正直かなり遠い。実家の最寄駅を走る路線の電車の数が少ないのにも参った。帰宅時、うっかり1逃がすと家に着くのが1時間遅くなってしまう。 幸いにして父方の祖父母が東京に暮らしていた。まだ元気だった祖父母は喜んで私を居候として受け入れると言ってくれたから、すぐに実家を出て転がり込んだ。品川区の街だった。 祖父母にかわいがられ、すっかり居心地よくぼんやり暮らしているうちに気づけば短大の卒業はすぐそこにやってきた。短大では軽音サークルに所属していた私は、格的に音楽活動に打ち込むのだという先輩たちに流されて、なんと就職しなかった。先輩方と違い、私はバンドにも楽器にも気で取り組んで

    小岩のイトーヨーカドーで教わった、自分が大人になったこと|文・古賀及子 - SUUMOタウン
    inomoy
    inomoy 2024/04/18
    好きな表現"本気の埼玉",“将来の輪郭はまだまるきり縁取られず、目の前に今ある景色だけを真に受けて必死で解釈していた。”
  • 相続した家の名義変更の流れとは? 相続登記・必要書類・費用・期限・義務化はいつからかを解説 - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    「どこにある土地や建物が、誰のものなのか」といった情報を法務局に記録・保管してもらう手続きが登記です。不動産を登記すると、権利関係を公に示せるようになります。 そして、不動産の所有者が変わった際に申請する「所有権移転登記」のうち、相続にともなう登記のことを「相続登記」といいます。 今回は、親が亡くなり、故人が所有していた不動産を相続する場合の登記手続きの流れや必要となる書類、費用などについて解説していきます。 記事の目次 1. 所有者が亡くなった不動産の名義変更(相続登記)を行わないリスクとは 2. 不動産の名義変更(相続登記)の流れと申請方法 3. 不動産の名義変更(相続登記)に必要な書類 4. 名義変更(相続登記)にかかる期間 所有者が亡くなった不動産の名義変更(相続登記)を行わないリスクとは この記事の公開日時点では、相続登記は法律で義務付けられているわけではないので、実施しなくても

    相続した家の名義変更の流れとは? 相続登記・必要書類・費用・期限・義務化はいつからかを解説 - 【SUUMO】住まいの売却ガイド
    inomoy
    inomoy 2023/09/28
  • DIY初心者がマイペースに楽しむ、共働きリモートワークを快適にする住まいづくり - マンションと暮せば by SUUMO

    はじめまして。たまに趣味でブログを書いている、あさえと申します。4年前に結婚した夫とふたり暮らしをしており、ふたりとも都内の企業で企画職として働いています。 そんなわたしたちは2020年5月、リノベーション済みの中古マンションを購入しました。緊急事態宣言発令により突如ふたりともリモートワークとなり、結婚当初に住んでいた1LDKの賃貸マンションでは生活に無理が生じたので、思いきって購入しました。 マイホーム購入後、わたしはすっかりDIYにハマってしまいました。集中して快適に仕事に取り組めつつ、仕事後や休日のプライベート時間を存分にくつろげる環境。そんな住空間を目指すべく、日々楽しく工夫を凝らしています。 そこで今回は、ホームオフィス空間を中心に、これまで取り組んできたDIYの様子を紹介します。 といってもわたしは、設計・インテリアの知識もなければ、特殊な工具も使えません。DIY工程の説明や、

    DIY初心者がマイペースに楽しむ、共働きリモートワークを快適にする住まいづくり - マンションと暮せば by SUUMO
    inomoy
    inomoy 2023/08/28
  • 多摩の独立を妄想し、ホームページを制作するほど多摩地区愛が止まらない土屋礼央さん【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真: 小野奈那子 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆ ◆ ◆ 今回お話を伺ったのは、ミュージシャンの土屋礼央さん。アカペラグループRAG FAIRのリードボーカルをはじめ、バンドやソロプロジェクト、さらにはラジオパーソナリティなど幅広く活動しています。 土屋さんが生まれ育ったのは、東京の国分寺市。多摩への思いがあふれすぎて「多摩独立宣言」なるホームページを運営していたこともあるほ

    多摩の独立を妄想し、ホームページを制作するほど多摩地区愛が止まらない土屋礼央さん【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
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    inomoy 2022/12/01
  • 鎌倉で生まれ育った僕が、鎌倉に「住みやすさ」を感じるワケ|文・フミコフミオ - SUUMOタウン

    こんにちは。僕は、フミコフミオ。1974年、鎌倉生まれの48歳、中間管理職だ。由比ヶ浜の産院で生まれ、鎌倉の街で育ち、今はもう鎌倉を離れているものの、ずっと湘南エリアで暮らし続けている。 鎌倉と僕(の家族)との縁が生まれた時期は今から100年前にさかのぼる。 というのも、母方の祖父が市内の鎌倉ヒロ病院で100歳で亡くなるまで、ずっと鎌倉で暮らしていたのだ。 つまり、祖父以前の家族史は不明だが、鎌倉と僕の(家族との)縁は少なくとも100年を超えていることになる。今でも僕の母は、由比ヶ浜にある祖父の家で暮らしている。ちなみに僕が生まれた矢内原医院は、由比ヶ浜にはもうない(2013年に大船に移転した)。 そんな鎌倉生まれ、鎌倉育ち、現在も湘南在住かつ湘南勤務の僕が「暮らす街」という視点でリアルな鎌倉の魅力(主に、僕が育った鎌倉駅周辺について)を語り尽くしてみるというのが、今回の企画の趣旨である。

    鎌倉で生まれ育った僕が、鎌倉に「住みやすさ」を感じるワケ|文・フミコフミオ - SUUMOタウン
    inomoy
    inomoy 2022/10/20
  • 銀座のはしっこ暮らし、中銀カプセルタワービルから愛をこめて(文・千絵ノムラ) - SUUMOタウン

    著: 千絵ノムラ 何がどうして、おしゃれな銀座の大通りを、すっぴんジャージ姿に、首には濡れたバスタオルを巻きつけて、毎晩闊歩することになったのだろうか。 ここは洗練された大人の街であればこそ、生活の、しかも日常的な、そんなお風呂帰りにそぐわない。 私が常宿、ならぬ常湯にしていたのは、博品館と資生堂の裏通りにある金春湯。 青い看板と金色の温泉マークが、「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」という言葉を彷彿とさせることから、ナウシカ好きの私を違う意味でも虜にしていた。 2021年オリンピック開催時の金春湯 金春湯の閉店時間は22時(土曜は20時)。従来の私からしたら、22時までにお風呂に入るのはかなりレア。相当な理由がないかぎり、それ以降に入ることの方が圧倒的に多い。 しかも仕事帰りに家に寄ってからの銭湯は、いささかめんどい。だって帰宅したら洋服脱ぎ散らかして、「ふわ〜」って羽を伸

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    inomoy 2022/08/16
  • 「ひとりで楽しむこと」を学べる街、西荻窪。小説家・角田光代が語る“小さな文化”の魅力 - SUUMOタウン

    編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材: かなめゆき 写真:曽我美芽 多くのクリエイターに愛される街、西荻窪。小説家・角田光代さんも、この街に魅了されたひとりです。 1990年にデビュー後、直木賞を受賞した『対岸の彼女』、映画化でも話題になった『八日目の蝉』『紙の月』など数々の代表作を持つ角田さんは、西荻窪で暮らし始めて約27年。 「引越した瞬間、ここだと思ったんです」。そう語るほど惹かれた西荻窪の魅力と、ものづくりをする人たちにとっての“吸引力”とはなにか? また、小説の舞台となる街の選び方も伺いました。街と人々の息遣いが鮮やかに浮かび上がる巧みな描写は、どのように生まれるのでしょうか。 狭さがほどよく、のんびりできる─「小さな文化」が魅力の西荻窪 ―― 角田さんは中野、高円寺、南阿佐ヶ谷、荻窪などを経て、西荻窪に落ち着かれたそうですね。 角田光代さん(以下、角田):引越してすぐ「ああ

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    inomoy 2022/06/28
  • 「孤独のグルメ」久住昌之さんが三鷹で育んだ無常観。「好きな店とはなくなっていくもの」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: パリッコ 写真: 関口佳代 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆ ◆ ◆ 吉祥寺駅にほど近い喫茶店でお話を伺ったのは、漫画家にしてミュージシャン、エッセイストや漫画原作者としても活躍されている久住昌之さん。街歩きの達人で、散歩をテーマにした著作も多く、生まれも育ちも、そして現在のお住まいも東京都三鷹市です。 そんな街と東京に詳しい久住さんこそ、まさに連載にふさわしいと取材をお願いし、参考にしようと著書『東

    「孤独のグルメ」久住昌之さんが三鷹で育んだ無常観。「好きな店とはなくなっていくもの」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
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    inomoy 2022/06/09
  • 調布市を胸に生きた20年間――オランダ少年がそば好きに成長する街(文・クラベ・エスラ) - SUUMOタウン

    著: クラベ・エスラ 2002年の夏休み、オランダ出身である僕は初めて日を訪れた。夏だけの間の短期留学である。当時の僕は15歳で、日が大好きな少年だった。東京の郊外に住むホストファミリーに迎え入れられ、その長女と一緒に自転車に乗って調布南高校に通った。蒸し暑い日の夏は初めてで、30分近い自転車移動で汗だくになった。ホストファミリーの長女は何度も振り向いて「エスラ、大丈夫?」と優しそうに声をかけてくれた。彼女は美人で、僕よりもよほど体力があったらしい。 週末に深大寺のおそばをべるのが、ホストファミリーにとって恒例の家族行事だった。僕もよくわからないなりに、5円玉を賽銭箱に投げ入れ、麺をつゆにかけて啜った。東京といえばネオンの看板が光る未来都市ばかり想像していた僕は、その平和な休日に面らった。 おじさんになってしまう前の僕がべる深大寺そば。深大寺の参道沿いには今も旨いおそばをべさ

    調布市を胸に生きた20年間――オランダ少年がそば好きに成長する街(文・クラベ・エスラ) - SUUMOタウン
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    inomoy 2022/03/14
  • 子どものころからうどんが好きで、小麦の品種が気になりだし、とうとう秘密基地のようなうどん屋さんを始めました(取材、文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 自分が好きなことを仕事にしたいという人もいれば、好きなことはあくまで趣味としてやったほうがいいという考えの人もいる。どちらも正しい。 今回インタビューしたのは後者の方で、自分の中にあった「好き」をじっくり育てることで、好きが生業になった人である。 うどん好きが高じてうどんの魅力を伝えるライターとなり、とうとう自分の店を持ってしまった井上こんさんだ。 秘密基地のようなうどん屋、松ト麦井上さんとは製麺つながりで何度かお会いしたことはあるのだが(私は家庭用製麺機の愛好家)、まだ井上さんの店「松ト麦」を訪れたことがない。そこでインタビューの前に行ってみたのだが、なかなかすごい場所に構えていた。 別に会員限定でも超高級店でもないうどん屋なのだが、入店することに明確な意思を必要とする入口なのだ。 東急田園都市線の駒沢大学駅が最寄り。東口を出て国道246号線を渋谷方面に向かい、環七通り

    子どものころからうどんが好きで、小麦の品種が気になりだし、とうとう秘密基地のようなうどん屋さんを始めました(取材、文・玉置標本) - SUUMOタウン
    inomoy
    inomoy 2022/01/26
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