2012年4月6日のブックマーク (7件)

  • 4月6日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    下手な医者に仕える下働きの男が不始末をしでかした。怒った医者が殴ろうとすると、「どうか蹴って下せえ」、男が懇願した。「お前さまの手にかかって助かった者はない」。江戸の小話にある◆玄葉外相は不快感を表明し、野田首相も微妙な時期であることを挙げて懸念を示している。「お前さまの手にかかって…」と言いたい心境かも知れない。鳩山由紀夫元首相がきょうからイランを訪問し、アフマディネジャド大統領と会談するという◆議員外交を否定はしないが、なにしろ、これまで外交がらみで名医の手際を見せてくれたことのないお方である◆普天間移設をめぐり、首相の立場で公に語った重たい言葉を、あとになって「あれは方便でした」と弁舌も軽やかに打ち明けた“衝撃の告白”をご記憶の方は多かろう。核開発を進めるイランに、国際社会は経済制裁の包囲網を狭めている。その結束を乱すことになりはしないかと、政府が鳩山氏の旅立ちを憂い顔で見つめるのも

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    inujita 2012/04/06
  • Terminal 2

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    inujita 2012/04/06
    I'm at 羽田空港 第2旅客ターミナル (HND/RJTT) (大田区, 東京都) w/ 25 others
  • 20年連続で新入生全員にノートパソコンを無償譲渡した大学の歴代機種一覧はこんな感じ

    By jenmichaeljarre 2012年4月の新入生全員にApple社製の最新型ノートパソコン「MacBookAir(11インチ)」を無償譲渡する名古屋商科大学が学生へのパソコン無償譲渡を開始したのは1985年、1992年にはノート型のMacintoshに変更、今年で20年目を迎え、累計ではなんと約2万台に到達しているとのこと。 名古屋商科大学によると、MacBookAirを使いまくる大学生のイメージはこんな感じらしい 過去20年間にどのような機種を配布したかを見ていくと、1992年にはMacintiosh初のノート型パソコンであるPowerBook 100を採択、1994年からはモデムを付属、2001年には無線LANを内蔵するなど、時代の流れを感じます。 1992年:PowerBook 100 68HC000(16MHz)/4MB/20MB 1993年:PowerBook 100

    20年連続で新入生全員にノートパソコンを無償譲渡した大学の歴代機種一覧はこんな感じ
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    inujita 2012/04/06
    “(16MHz)/4MB/20MB” 92年のスペックすげー
  • http://n1kumeet5.com/2012/04/gdipp/

    http://n1kumeet5.com/2012/04/gdipp/
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    inujita 2012/04/06
    あとで
  • Kochi Ryoma Airport (KCZ)

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    inujita 2012/04/06
    帰る (@ 高知龍馬空港 (Kochi Ryoma Airport))
  • 宝くじほど逆進性の強い税金はない

    少し前に、こちら(シアトル)のラジオで、「貧乏な人ほど、もっとも割の悪いギャンブルである宝くじを買う」というニュースを聞いた。純粋に期待値を見れば、ラスベガス(95〜99%)>競馬・競輪(約75%)>宝くじ(約40%)の順であり、宝くじほど割の悪いものはない。 にも関わらず、宝くじを買う人が多いのは、「一攫千金」の可能性があるから。しかし、一回の賭けでは36倍にしかならないルーレットでも、掛け方を工夫すれば、「勝つ可能性は低いが、万が一勝った時には億万長者になれる」賭け方はあるし、宝くじよりもはるかに期待値は高い。 ちなみに、宝くじの収益は米国でも日でも大半が地方自治体に入る。「形を変えた」税金なのである。所得税や消費税を増やすことは国民の反感を買うので、現政権にとってとても不利である。しかし、宝くじならば、税金には見えない上に、選挙に良く来るような人(すなわち、期待値を計算出来る人、宝

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    inujita 2012/04/06
  • 奄美大島沖漁船転覆事故生還した漁師が語った「人喰いザメとの死闘」(フライデー) @gendai_biz

    「サメに嚙みつかれると、みんな痛みに耐えかねて『やられたっ!』と叫ぶ。それで仲間が喰われたことが分かるんです。僕は脚を4ヵ所ほどやられました。痛いと思ってパッと触ったら、肉が抉れている。でも、その時は痛みを気にしている余裕などありませんでした」 奄美大島(鹿児島県)にある病院の個室で、村田勉さん(44)は上半身だけをベッドから起こし、〝恐怖の一夜〟からの生還劇を語ってくれた。 3月23日、鹿児島県奄美大島沖の東シナ海で、村田さんら6名を乗せた同県喜入町漁協所属のはえ縄漁船「春日丸」が高波を被って転覆した。当時の波高は2~2.5m。午後3時20分頃に遭難信号を発信した春日丸は、ものの5分で波濤の中に横倒しになったのだ。 転覆直後、6名は救命いかだに乗り移ったが、無情にも少しずついかだの空気が抜けていく。北川勝人船長(46)と下池力さん(40)はいかだを諦めて浮き輪や木などに摑まって漂流。村田

    奄美大島沖漁船転覆事故生還した漁師が語った「人喰いザメとの死闘」(フライデー) @gendai_biz
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    inujita 2012/04/06
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