timesに流れてくる「あれ」「はぁ……」 「なんでこうなるかなあ」 「もういいや、こっちが我慢すれば済む話なんで」 社内Slackのtimes(分報チャンネル)を眺めていると、定期的にこの種の投稿が流れてくる。主語がない。宛先がない。事実の共有でもなければ、相談でもない。あるのは感情の放流と、「察してほしい」という無言の要求だけだ。 本稿ではこれを「お気持ち投稿」と呼び、その構造的な問題を批判する。先に断っておくが、これは特定の誰かへの攻撃ではなく投稿類型の批判であり、感情を持つこと自体の否定でもない。むしろ逆で、感情が大事だからこそtimesに捨てるなという話をする。 1. timesとは本来何だったのか分報という文化の設計思想を確認しておく。timesは「今これをやっている」「ここで詰まっている」を細かく書き流すことで、思考を外化し、詰まりを誰かが早めに拾えるようにするための仕組みだ

