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批評と歴史に関するirbsのブックマーク (3)

  • 近代芸術(モダン・アート)という「歴史=物語」── モダニズム再考──  森雅彦 - garage-sale

    PDFで読む 1.近代芸術の外部 芸術ははじめからこれは芸術である、これは芸術でないといったかたちで存在するわけではない。いわばあるコンテクストの中で芸術となる、あるいは芸術にならされるのです。それは近・現代のモダン・アートにおいても変わらないので、ここでの話はそうしたことの一端に関わるものです。 市民社会において育まれた近代芸術は、とうぜんながら大きな特色を持っている。こころみに、何でもよい、皆さんのお手元にある美術史の教科書を開いてみていただきたい。近代以前、すなわちプレモダンの芸術について、それらはたとえばロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココといったように、おおきな時空間の枠組みで語ることを怪しまないけれども、近代になると実に多様な傾向の芸術に出会うし、めまぐるしく変わるイズムの変貌に圧倒されるに相違ない(図1)。むろんロマネスク、ゴシックにせよ何にせよ、

    近代芸術(モダン・アート)という「歴史=物語」── モダニズム再考──  森雅彦 - garage-sale
  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか

    人は証拠や論理よりも、自分の信じたいことだけ信じる、という話の別例。 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に関しては柳下毅一郎の対談映画欠席裁判』その他で書いてきたとおり、娼館を舞台にした物語である。 しかし、そう指摘されると怒る人が多いんだ、これがまた。 主人公は「湯女」として働かされるのだが、国語辞典でも百科事典でも何でもいい。「湯女」という言葉を引いて欲しい。 たとえば『日大百科全書』にはこうある。 「温泉場や風呂屋にいて浴客の世話をした女性のこと。一部は私娼(ししよう)化して売春した」 『大辞林』にはこうある。 「江戸時代、市中の湯屋にいた遊女」、 『岩波古語辞典』だと「風呂屋に奉公し、客の身体を洗い、また色を売った女」。 「そういう見方もある」だの「そういう解釈もある」だのというレベルではなく、「湯女」とは「娼婦」を意味する名詞なのだ。 ただし、昔から風俗においては初潮前の少女は見

    ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか
  • Macintoshの最期

    寂しい、けれど...。 Mac OS Xは、先週発表されたMountain Lionで「OS X」になりました。そう、「Mac」がなくなったんです。これは明確な意図があってのネーミングだと思われます。つまり、20年以上も続いてきたMacintoshというデスクトップメタファーの終わりが近いことが示されているのではないでしょうか。 これは、MacBookやiMacがなくなる、ということではありません。でもそうしたコンピューターを定義してきた、ソフトウェアの魂の部分が入れ替わっていくということです。おそらくあと2年もすれば、MacintoshはiOSという新しい花に命を譲った老木のような存在になっていることでしょう。 そんな見方を否定したい人もいるかもしれませんが、これが今実際に起こっている現実です。アップルがアプリ中心のユーザー体験モデルを構築しつつある一方では、マイクロソフトも情報中心のM

    Macintoshの最期
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