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沖縄と貧困に関するirbsのブックマーク (2)

  • OKINAWA 2015 - EPISODE 6 戦場から遠い場所

    沖縄戦では3カ月あまりの戦闘で住民の4分の1が命を落とし、生き残った者も大きな苦難を背負わされた。家族を亡くし、住むところを奪われ、戦災孤児となった者は島だけで3000人を超えるという。そして、沖縄戦終結前後に学齢期を迎え、混乱と貧困のため学校に通うことができなかった義務教育未修了者の数は、正確に摑めていない。 2015年7月、VICE取材班は那覇市樋川にある珊瑚舎スコーレにカメラを向けた。10代の中高生と80代の夜間中学生たちの学びの場。そこで出会い、認め合い、成長していく生徒たち──。彼ら、彼女らの姿は学ぶことの喜びに満ちあふれていた。 2011年から行われていた県による夜間中学への事業支援が年度で打ち切りとの報道もあるなか、限られた取材時間では聞くことのできなかった多くの辛苦を想像しながら、ここに「EPSODE6 戦場から遠い場所」を公開する。

    OKINAWA 2015 - EPISODE 6 戦場から遠い場所
  • もうひとつの沖縄戦後史──「オッパイ殺人事件」と経済成長/岸政彦 - SYNODOS

    電子マガジン「α-synodos」新連載! 貧困、スラム、売春、犯罪……。1960年前後の「沖縄タイムス」の記事から、戦後沖縄の知られざる側面を鋭く切り取る。 *  *  * 沖縄戦が終わってから13年、復帰まであと14年。1958年は、「戦後沖縄」のちょうど折り返しの時期だった。 那覇のすぐ隣にあり、いまでは閑静なベッドタウンとなっている浦添市。1958年、この街で凄惨な事件が起こった。 ある日、浦添市沢岻付近の幹線道路で、走行中のトラックに飛び込んだAという29歳の青年がいた。Aは一命を取りとめたが、「可愛いやつを殺した、俺もこの車で轢き殺してくれ」とわめいていたという。 そのすこし前。Aは、近所に住む遠縁の自宅を訪れ、同じことを話していた。「一番可愛いやつを殺した。君や親戚を皆殺しにして、俺も死ぬ」そう叫んでいた。そして、Aは、ズボンのポケットから、切り取ったばかりの血まみれの片方の

    もうひとつの沖縄戦後史──「オッパイ殺人事件」と経済成長/岸政彦 - SYNODOS
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