事例作成日 2012年09月14日 登録日時 2012/12/01 10:55 更新日時 2012/12/01 10:55 「前後」でなく「上下」を付された理由については、残念ながら明確な記述や論文を確認することができませんでした。 なお、以下の資料に関連する記述がありました。 ・『国号考』(内山真竜/著 五月書房 1998) 寛政8年刊行の複製資料です。「一之巻」の「総論」に、「東国ハ上下」「西国ハ前後」「中ッ国ハ兄弟」「東夷ハ奥口」との記述があり、それぞれ「上ッ総/下ッ総」「吉備前/吉備中/吉備後」「山背/山弟」などが挙げられています(p8-9)。 また、同じ「一之巻」の「大倭國」に「国わけの趣意 西国ハ前後 東国ハ上下と分、其中ッ国ハ皇居南面 山兄(ヤマセ)山弟(ヤマト)、」とあります(p27)。 ・『日本古代地名事典』(吉田茂樹/著 新人物往来社 2001) p73の「かみ~」及び
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