序 雅楽・能楽のみならず、日本の音楽・演劇・芸能のいろいろな様式を通じて、その形式原理を示す代表的なものに、「序破急」という概念がある。しかし、実際には、この「序破急」の概念は、その用いられる芸能の種目によって、それぞれ少しずつ意味に違いがあるし、同じ種目によって用いられる方が異なる場合がある。 文芸書では、応安五(一三七二)年以前の成立とされる二条良基の『筑波問答』において「楽にも序破急あるにや。連歌も一つの懐紙は序、二の懐紙は破、三・四の懐紙は急にてあるべし」とし、一の懐紙は「しとやかの連歌」、二の懐紙より「さめき句」、三・四の懐紙を「ことに逸興ある様」にすると論じている。こうして、「序破急」は文芸上の時間的構成の指導原理としても用いられるようになるが、寛正二(一四六一)年ごろ成立される心敬の『ささめごと』においては、「万道の序破急」とあり、すでにあらゆるものに通ずる原理として扱われて
日本映画興行史研究 ――1930年代における技術革新および近代化とフィルム・プレゼンテーション 藤岡篤弘 はじめに 本稿は1930年代における日本の映画興行の実態を概観する試みである。明治の揺籃期と大正の成長期を経て、ある高みに達した日本映画がトーキーという技術革新に直面し、構造改革を迫られた1930年代は、真に実力ある監督たちがサイレント期に積み重ねた文体を開花させ、つぎつぎに秀作を生み出した「黄金時代」であった。この頃はまた、西欧文化を享受した人々が華やいだ文化生活を謳歌していた一方で、軍部がさまざまな戦端を開き、戦況に応じてナショナリズムが昂揚していくなか、映画の政治的な利用価値が認められ、映画史が新たなる段階に入った時期ともいえよう。そうした状況のなかで、1930年代という日本映画の「黄金時代」に、数々の映画作品が行き着く場としての映画館の様態を、体系的に考察する試みはこれまでなさ
小林俊介 (山形大学教育学部 助教授) 2003.10.23 「視覚的プロパガンダと抵抗」という問題を近代日本美術の文脈で考えるとき、昭和初期のプロレタリア美術や、十五年戦争下の作戦記録画=戦争画にまつわる諸問題がまず思い起こされる。例えば、体制に対する「視覚的抵抗」たるプロレタリア美術はなぜ挫折したのか、そして多くの画家が、積極的にせよ消極的にせよ、なぜ戦争画をものしたのか、といった問題である。 しかし、戦争画や、ひいては近代日本の美術を成り立たせている「視覚」そのものを問わないかぎり、この問いは不毛であるように思われる。我々が明治以来慣れ親しんでいるこの視覚こそ歴史的なものだからである。その性質が反省されるとき、プロレタリア美術(プロレタリアのイメージを描いた絵)が「反体制」であり、戦争画(戦争のイメージを描いた絵)が体制的であるという区分は保留される必要がある。菊畑茂久馬が「天
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く