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『くだんのはは』は、小松左京による短編小説。初出は『話の特集』1968年(昭和43年)1月号。 概要[編集] 本作には、小松の戦争体験の影響が大きい[1]。小松の分身を思わせる旧制中学の生徒の語りで、超自然的で恐ろしい「くだん」(件)にまつわる逃れがたい物語が展開される[1]。 本作は、ホラーとしての評価が高く、ホラーのアンソロジーや幻想小説のアンソロジーに何度も選ばれており、人気が高い[1]。「戦後の恐怖小説の中でも、必ずベストの一つに挙げられる」、「小松左京の最も恐ろしいホラー」とも評される[2]。 手塚治虫は本作を「小松さんの傑作のひとつ」として挙げ[3]、武川智美は、朗読に当たって読み進めるうちに大きな恐怖へと変わっていったと感想を述べる[1]。また武川は作品タイトルがひらがなであることに違和感を抱くが[1]、 松田哲夫はタイトルは靖国神社のある九段(くだん)とのダブルミーニングで
マヨンベとは、アンゴラの作家ペペテラの小説である。1980年に出版された。 概要[編集] この作品は1971年から1972年にかけて、当時アンゴラ解放人民運動(MPLA)の政治委員だったペペテラにより政治コミュニケとして書かれ、出版する意図を持っていなかった[1]。作品は終始アンゴラ人のアイデンティティに対して向き合ったものであり、白人(ポルトガル系アンゴラ人)社会主義者としてアンゴラ独立戦争に参加する経験を持ったペペテラは、この戦争の一局面を、独立革命を指導するはずの前衛政党内部での部族主義や官僚主義、さらには登場人物の人間的な愛憎を交えながら描き切り、出版と同年の1980年にアンゴラ作家協会からアンゴラ文学賞が授与された[2]。 あらすじ[編集] ポルトガルの植民地支配も末期に至った1971年、ポルトガル領アンゴラの飛地カビンダの密林(マヨンベ)でも、アンゴラ本土と同様にアンゴラ解放人
横浜市に生まれ、高校時代から神奈川部落問題研究会に参加。早稲田大学在学中、狭山差別裁判糾弾闘争や部落解放同盟神奈川県連合会の運動に参加。1972年11月8日、学内を暴力支配する革共同革マル派により友人川口大三郎が虐殺されたことを機に早稲田解放闘争に参加し、革マル派に対抗する早稲田大学全学行動委員会(WAC)のメンバーとなる。当時は大学を退学して部落解放同盟東京都連合会の専従活動家になる予定だったが、部落解放同盟の利権あさりと暴力を目の当たりにして方針を転換し、1975年、早稲田大学卒業。卒業論文のテーマは神奈川県の融和運動史。高校教師ののち早稲田大学大学院に入学、全国的な融和運動史と水平運動史を研究、1984年中退。1991年「水平運動の社会思想史的研究」により早稲田大学から文学博士の学位を授与される。富山県、新潟県で大学教員を務め、歴史学研究の成果を社会に還元することを重視し、社会民主主
『アレクサンドリア四重奏』(アレクサンドリアしじゅうそう、原題:The Alexandria Quartet)は、イギリスの小説家・ロレンス・ダレルによる長編の連作小説。「ジュスティーヌ」「バルタザール」「マウントオリーブ」「クレア」の四部作。1957年から1960年までに発表された。 概要[編集] 1930年代、エジプトのアレクサンドリアが舞台である。作家のダーリー(語り手)と踊り子メリッサ、人妻ジュスティーヌの間の恋愛を軸に、エジプト独立運動をめぐる陰謀などもからめてストーリーが展開する。4作は時間順に進行するのではなく、「ジュスティーヌ」でひとまず話が完結し、続く「バルタザール」「マウントオリーブ」では主人公とは異なった視点から一連の事件が語られ、「クレア」で締めくくられる。 ジュスティーヌ(The Alexandria Quartet - Justine) 私(ダーリー)は小さな子
バスケットボール指導者の「丸山健治」あるいはペンネームが「丸山健二」のテレビアニメプロデューサーの「吉田健二」とは別人です。 丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )は、日本の小説家。 高校を卒業後、通信士として商社に勤務。傍ら創作をはじめ、生と死の主題を冷静な筆致で描いた『夏の流れ』(1966年)で芥川賞受賞。『正午なり』(1968年)、『朝日のあたる家』(1970年)などで帰郷と定着の問題を扱い、一層の社会性を加える。 経歴[編集] 国語教師の息子として長野県飯山市で生まれ、父の転勤に伴い各地を転々とし、大町市に育ち、篠ノ井で中学校を卒業。1964年、国立仙台電波高等学校(現在の仙台高等専門学校広瀬キャンパス)を卒業後、1967年まで株式会社江商東京支社総務部通信課にテレックス・オペレーターとして勤務[1][2]。影響を受けた作品はハーマン・メルヴィル『白鯨』[3]
1981年、東京大学文学部仏文科卒業[1]。同大学院比較文学比較文化専攻(駒場)修士課程修了[1]。東大では小堀桂一郎に師事。台湾大学で修士(碩士)取得[1]。1989年、東京大学大学院博士課程中退。 明星大学専任講師、明星大学助教授を経て明星大学教授[1]。 2002年、『鷗外歴史文学集』の漢詩注釈で島田謹二学藝賞受賞[2]。 『「縁」について 中国と日本』新典社〈叢刊・日本の文学〉、1990年 『大正天皇御製詩の基礎的研究』明徳出版社、2005年 『漢文素読のすすめ』飛鳥新社、2007年 『これならわかる返り点 入門から応用まで』新典社新書、2009年 『これならわかる漢文の送り仮名』新典社選書、2012年 『日本近代史を学ぶための文語文入門 漢文訓読体の地平』吉川弘文館、2013年 『これならわかる復文の要領 漢文学習の裏技』新典社選書、2017年
タフツ大学公演(2006年) 『ヴァギナ・モノローグス』(原題:The Vagina Monologues)は、アメリカの劇作家イヴ・エンスラーによって構成された一連の脚本、およびそれに基づく芝居の表題である。「ヴァギナ」は「女性器」、「モノローグス」は「独白(モノローグ)」の複数形であり、様々な女性たちが自らの女性器について語った内容が集められて構成されている。 『V.M.』は、200人を超える女性たちへのインタビューに基づいた作品で、1996年にニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されて以来、世界60か国で感動を生んでいる。大物女優のグレン・クローズやメリル・ストリープも舞台を飾った。[1] 日本では2004年、モニーク・ウィルソン(ニューヴォイスカンパニー)演出で初上演された。2005年の再演時には、Lynn Sherman、Monique Wilson、Jenny Jamora
『高い城の男』(たかいしろのおとこ、原題:The Man in the High Castle)は、アメリカのSF作家フィリップ・K・ディックの歴史改変SF小説。第二次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカが東西に分断されている世界を舞台としている。1962年に発表され、1963年のヒューゴー賞 長編小説部門を受賞した。 日本では1965年に川口正吉によって翻訳され、ハヤカワ・SF・シリーズ(早川書房)から刊行された。1984年から新たに浅倉久志による新訳版がハヤカワ文庫から出版された。 2015年、ドラマ化が発表され[2]、同年11月からAmazonビデオにおいてドラマ『高い城の男』の配信が開始された。 第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わり、大日本帝国とナチス・ドイツによって分割占領されている旧アメリカ合衆国領を舞台にした人間群像劇。 歴史改変SFでは珍しくない設定だが、作品内世界で「もしも
『虎よ、虎よ!』(とらよ とらよ!、英語原題:Tiger! Tiger!)、あるいは『わが赴くは星の群』(わがおもむくはほしのむれ、The Stars My Destination)は、アルフレッド・ベスターが1956年に発表したSF小説。 アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』をモチーフとした壮大な復讐譚である。ベスターの長編第2作にして代表作であり、SFのオールタイムベストの定番でもある[1]。 かねてから『モンテ・クリスト伯』のような復讐譚を考えていたベスターが、『ナショナルジオグラフィック』誌でフィリピン人の船員の記事を読み、その記事を下敷きと導入部として用いた。それは第二次世界大戦中に漂流していたいかだが、ドイツ軍の囮である可能性があることから何隻もの船が船員を救助せず通り過ぎていったというものであった。そして、1956年にイギリスで "Tiger! Tige
シクロフスキーはロシア・フォルマリズム理論の研究者であり、本書は彼の主著であるとともに形式主義の文学理論の古典的研究である。本書には論文「手法としての芸術」、「短編小説と長編小説の構造」、「秘密をもった短編小説」、「秘密をもった長編小説」、「パロディの長編小説」が収録されている。文学研究において異化の概念や主題などの概念を導入しながら、さまざまな散文作品を分析した研究である。 シクロフスキーは当時ロシアのアカデミーで主流であった「イメージによる思考」としての芸術の概念を検討し、それに批判を加えている。シクロフスキーの見解によれば、新しいイメージを創造するのではなく、既存のイメージをどのように配列するかに芸術の力点がある。したがって、文学においてもイメージによる思考ではなくイメージの喚起、さらに直喩や誇張などの修辞的な手法こそが重要であると論じている。そして事柄の理解を容易にする鑑賞者の日常
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(James Tiptree Jr.、女性、1915年8月24日 - 1987年5月19日)はアメリカ合衆国の作家、SF作家。本名はアリス・ブラッドリー・シェルドンで、別ペンネームとしてラクーナ・シェルドン(Raccoona Sheldon)。女性であることが世間に知られるようになったのは1977年のことである。 1915年、アリス・ブラッドリーとしてアメリカ合衆国シカゴのシカゴ大学にほど近いハイドパーク地区で生まれる[1]。父は法律家で探検家のハーバード・ブラッドリー。母は小説や旅行記を書いていた作家のメアリー・ブラッドリー(2002年に『ジャングルの国のアリス』がメアリー・ヘイスティングズ・ブラッドリー名義で邦訳された)。 幼いころから両親とともに世界中を旅した。子供時代の大半をイギリス植民地下のアフリカ、インドで過
対象年齢別に種類がわかれており、読者の成長に合わせた内容が選べる。松居直によって1956年に創刊された[1]。 発行部数の大半は、保育所や幼稚園との年間契約によるものであることが特徴である。 人気がある作品は、後に「こどものとも絵本(旧こどものとも傑作集)」として単行本で発売される。 1972年に創刊200号を迎えた際、収録された物語の登場キャラクターからの“お祝いのメッセージ”をまとめた形の「てがみのえほん」を出版した。 初期は裏表紙に編集部のコメントが掲載されていたが、現在は「絵本のたのしみ」という小冊子が付属し、作者のコメントなどが掲載されている。 絵本原画の多くは、宮城県美術館に所蔵。
『オレステイア』(希: Ὀρέστεια, 英: Oresteia)は、古代ギリシアの悲劇作家アイスキュロスの書いた、トロイア戦争におけるギリシア側総大将アガメムノーン一族についての悲劇作品三部作。 この呼称は作中に登場するアガメムノーンの息子オレステースにちなむ。 古代のギリシア悲劇は競作形式で、1日のうちに同じ入賞者による悲劇3本と悲喜劇(サテュロス劇)1本の計4本が併せて上演されたが、当初はその悲劇3本は連作の三部作形式をとっていた。その三部作が唯一完全な形で残されたのが、この『オレステイア』と呼ばれる三つの戯曲であり、 『アガメムノーン』 『供養する女たち』 『慈しみの女神たち』 の三つの悲劇から構成される。これにサテュロス劇『プローテウス』を加えた計4作が、紀元前458年のアテナイのディオニューソス祭にて上演された[1]。 なお、少々解釈の違うところはあるが、このオレステイア三部
三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日)は、日本の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。 本名、三浦二郎。東京都生まれ。 フリードリヒ・エンゲルス及びヨセフ・ディーツゲンを師と仰ぎ、製版の仕事をしながら独学した[注 1]。謎解きによって具体的な問題を論理的に扱う思惟活動の訓練を行う中で、弁証法が優れた武器であることを学ぶ[注 2]。それまで誰もできなかった日本軍の用いた日本語の暗号電報の盗読に成功したハーバート・オズボーン・ヤードリーの手記『アメリカン・ブラック・チェンバー』を青年期に読み、日本語の文法に理論的な関心を持った[1]。 1946年、民主主義科学者協会が結成され会員になった。1948年、
アーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924年1月1日 - 2013年10月25日)は、アメリカ合衆国の美術評論家・哲学者。長年『ネイション(The Nation)』誌で影響力のある美術評論を連載していたことで知られる。また、哲学的美学、歴史哲学での仕事が広く知られている。行為論など他の多くの分野でも業績がある。著述で扱ったテーマは次の通り。思考、感情、アートの哲学、表象論、哲学的心理学、ヘーゲルの美学、ニーチェとショーペンハウアーの哲学。 ダントーは1924年1月1日、ミシガン州アナーバーに生まれ、デトロイトで育った[1]。2年の軍隊経験を経て、ウェイン大学(現・ウェイン州立大学)で美術と歴史を学ぶ。卒業後コロンビア大学の大学院へ進み、哲学を学んだ[1]。1949年から1950年にかけて、フルブライト奨学生としてパリに留学し、モーリス・メルロ=ポン
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ソール・スタインバーグ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2020年7月) ソール・スタインバーグ(Saul Steinberg, 1914年6月15日 - 1999年5月12日)は、ルーマニア生まれのアメリカ合衆国の漫画家でイラストレーター。日本ではスタインベルグとも表記。 その知的で洗練されたスタイルで一コマ漫画の世界に革命を起こす。主に『ニューヨーカー』誌で活躍した。 ルーマニアのルムニク・サラト Râmnicu Sărat (ブザウ県)でユダヤ人の家庭に生まれ、ブカレスト大学で1年だけ哲学を学んだ後、イタリアのミ
ミハイル・イリーン(Михаил Ильин、ラテン翻字の例:Mikhail Il'in、1896年1月10日/ユリウス暦1895年12月29日 - 1953年11月15日)はソビエト連邦(ウクライナ出身)の作家、児童向けノンフィクション作家である。姓の日本語表記はイリン、イリインとも。名のミハイルはMと略されるか、完全に省略されることも多い。 ユダヤ系で、本名はイリヤ・ヤコヴレヴィチ・マルシャーク(Илья Яковлевич Маршак、翻字例:Il'ya Yakovlevich Marshak)である。詩人・児童文学作家のサムイル・マルシャークは彼の兄に当たる。「ミハイル・イリーン」のペンネームを名乗ったのは兄との混同を避けるためだという[1]。妹のエレナ・イリーナも作家である。 1896年にウクライナのエカテリノスラフ県バハムト市(現在のアルチョーモフスク市[2])で技術者・発明
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