[ 事件 index / 無限回廊 top page ] ジラード事件 1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原の米軍演習場内の立ち入り禁止の場所に、薬きょうを拾いにきていた農婦の坂井なか(46歳)が、小銃弾に当たって死亡した。一緒にいた日本人農夫の証言で、米兵に「ママさん、だいじょうぶ!」と呼び寄せられ、約10メートルの距離から狙撃されたことが判明した。その米兵は、この日、立哨だった米軍第1騎士団第8連隊のウィリアム・S・ジラード(当時21歳)3等特技兵であった。 事件現場は1920年(大正9年)に旧陸軍演習場となり、戦後米軍に接収された土地だったが、鉄くずの薬きょうを拾って生活の足しにしている基地周辺の人々の貧しさや、日本人をスズメ程度にしか考えていない米兵の心理など多くの問題を提起した。 特に、ジラードの裁判管轄権を巡って日米行政協定下の日本の主権制限の実状を明らかにした。