昭和―本物のGentlemanがいた 白洲次郎・伝説の生涯を初ドラマ化! 白洲次郎の骨太なダンディズム。己の良心のみを信じ、輝かしい未来を夢見て、「敗戦」「占領」から「独立」へ激動の昭和史を生きた一人の侍のジェントルマン道を描いていきます。 【放送予定】第1回…2009年2月28日(土)総合午後9:00〜10:29 第2回…3月7日(土)総合午後9:00〜10:29 第3回…2009年中
番組内容 番組の趣旨:毎週金曜日の深夜0:45から放送する演劇を紹介する番組です。 番組は2つの内容からなっています。 (1)「昭和演劇大全集」は、第1,2週の放送で、昭和が終わって間もなく20年、 昭和期の数々の名舞台(伝統演劇を除く)を、NHKだけが保存している舞台中継の 映像素材と共に回顧する演劇番組。 昭和演劇の名作の見どころと意義を、演劇評論家・渡辺保さんに聞きながら 舞台を見ていきます。聞き手は女優の高泉淳子さん。 (2)「小劇場舞台中継」は、第3,4,5週の放送で、話題の公演をタイムリーに 紹介しています。田中奈緒子が芝居の鑑賞に役立つ情報を5分程度で紹介。 小劇場舞台の醍醐味を堪能できます。 金曜日の深夜、面白いお芝居をご覧になりませんか? <10月のミッドナイトステージ館の見どころ> ●昭和演劇大全集 黒テントと転形劇場という、アングラ・小劇場運動を出発点にしながらも、そ
写真・左、中:2008年7月19日 吉本隆明講演会 写真・右:吉本さんの自宅にて糸井重里さんとの対談 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日本の言論界を長年リードしてきた吉本隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉本さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 「僕の本なんか読んでいない人に、どうやったら分かってもらえるかが勝負です。」 車椅子に乗って登場した吉本さんは、2千人を超える聴衆を前に、3時間にわたり休むことなく語り続けた。 詩人にして文芸評論家、そして思想家。文学や芸術だけでなく、政治・経済、国家、宗教、家族や大衆文化まで、人間社会のあらゆる事象
澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年〈昭和8年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉5月16日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、ラジオプロデューサー。テレビランド代表取締役社長。 東阪企画創立者で元代表取締役会長。その他にも日本映像事業協会会長、大阪放送芸術学院校長、全日本テレビ番組製作社連盟顧問、笑いと健康学会会長等を務める。 弟は放送作家の尾上たかし。 “さわだ りゅうじ”の読み方をされることもある。 大阪府吹田市出身。大阪商船に勤めた父の転勤で2歳から京城で育ち、終戦で父の故郷・富山県高岡市に引き揚げ、さみしい心を癒やしたのが喜劇映画だった。これを原点に明るい笑いとハッピーエンドにこだわり、様々な公演やイベントの企画制作に当たった。旧制 富山県立高岡中学校(現・富山県立高岡高等学校)1年に編入、中学3年から旧制兵庫県立尼崎中学校(現・兵庫県立尼崎高等学校)へ
『JNNニュースコープ』(ジェイエヌエヌ - 、通称:ニュースコープ)は、TBS(JNN)系列にて1962年(昭和37年)10月1日から1990年(平成2年)4月1日まで[注 2]、27年半の長期に渡って放送された夕方の報道番組である。日本初の本格的キャスターニュースショーとしても知られている。 タイトルはニュース(NEWS)とスコープ(Scope)を絡ませた造語[注 3] であり、その日の注目ニュースを望遠鏡や顕微鏡などのスコープのように鋭く、わかりやすく注目するということで名づけられた。 なお、国内の民放ネットワークによるニュース番組で、かつ同一タイトルの夕方のニュース番組としては最長記録を誇っている[注 4]。 1962年は、日本のテレビ受像機の普及が民放開局時の1万7000台から、1000万台に乗った記念すべき年だった[1]。と同時に、各局とも当時の娯楽番組が行きつくところまできた
1959年、ラジオ東京(現・東京放送ホールディングス)に入社[1]。同期スタッフに実相寺昭雄ら。テレビ美術部にて研修を受ける。 最初の仕事は美智子皇太子妃ご成婚パレードの下働き。 その後テレビ演出部に配属され演芸・人形劇・ドラマなどの番組の演出助手を務める。 1962年ドラマ「煙の王様」(円谷一演出)で演出助手を務め、芸術祭大賞受賞の実績を認められ、その後ドラマ「傷だらけの夜」で初めての演出を務めた。 1966年報道局異動。ワイドニュースディレクター。 1967年テレビ報道部異動。ドキュメンタリー作品を中心に制作を担当。 1968年非現場への配転を受けるが、これを萩元晴彦らとともに拒否し、その後のTBS成田事件や田英夫のキャスター解任などの諸問題に繋がる「TBS闘争」のきっかけになる。 1969年、非現場での空白に終止符を打つためにTBS退社を決意。吉川正澄らと相談し集団で退社。その後TB
08/8/24(日) 14:30~16:24 テレビとは何か?その答えを追い求め続けたテレビマンの軌跡! 番組内容 2008年1月21日。メディアプロデューサーの村木良彦が亡くなった。村木は59年にラジオ東京(現TBS)に入社。66年に萩元晴彦とドキュメンタリー番組「あなたは…」を共同演出する。街頭録音形式で21の同じ質問を次々と一般の人にぶつけて行くという斬新な方法が当時大きな反響を呼び、その後のテレビドキュメンタリーに大きな影を与える作品となる。ふたりの演出する番組には常に「テレビとは何か?」という本質的な問いがその根底にあった。 その後萩元は「日の丸」を制作。政府から「偏向番組」と批判を受け、放送界全体を巻き込む大きな事件となる。村木も演出した「ハノイ・田英夫の証言」が反米的過ぎると、政府から批判され、田英夫がキャスターを辞任、村木本人も制作現場を追われることになった。
5 月 7 日、日大芸術学部で本年度第一回「テレビ演出論」の講義。 1966 年に萩元晴彦と共同演出した「あなたは…」を素材に、私がドラマからドキュメンタリーの世界へ移ったわけを話す。実はそこに「テレビは時間である」という仮説、「プロセスこそテレビ」、「他者との出会い」、「フィクションとノンフィクションのあいだ」など「テレビとはなにか?」を考える基本的な要素がつまっているのだ。毎年、素材にする5本の作品のひとつだ。 ちなみに5本とは、「あなたは…」のほか、是枝裕和作品、森達也作品、長嶋甲平作品、そして私の軍艦島など日本近代の廃墟を記録した「近代遺跡の旅」である。この 5 本で、テレビ演出の基礎構築の作業ができると私は確信しているのだ。あとは学生たちの飛翔力である。しかし、それにしても、萩元も、構成の寺山修司も、音楽の武満徹も逝去。 60 年代を語れる人は少なくなったが、伝えるべきことは大き
昭和が懐かしい!昭和がかっこいい!昭和が新しい! お待たせしました、NHK・BSが自信をもってお届けする「昭和モノ」の決定版! その名も『日めくりタイムトラベル』。 昭和のとある1年に注目し、事件事故から珍奇な流行に至るまで完全網羅。その年の空気そのものを「日めくり形式」でパーフェクトに蘇らせます。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く