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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (5)

  • 「現代文学論争」補遺 - jun-jun1965の日記

    「現代文学論争」のために書いたのだが、分量の関係で割愛したものである。未完。 福田和也という謎 福田和也(一九六〇− )は、江藤淳、柄谷行人の衣鉢を継ぐ文藝評論家とされ、慶応義塾大学環境情報学部教授である。これまでいくつかの論争を行ってきたが、むしろ福田自身が、謎めいた人物、論争的な人物だと言っていいだろう。 福田は慶大仏文科の大学院に在籍して、修士課程で追い出され、実家の仕事を手伝いながら、フランスが一九四〇年にドイツに降伏したあとの、ナチス協力作家たち(コラボラトゥール)を論じた『奇妙な廃墟』(国書刊行会、のちちくま学芸文庫)を一九八九年に刊行した。福田は、このにはほとんど反響がなくがっかりしたと語っているが、実際には江藤淳がこれに目をつけ、翌九〇年七月号の『諸君!』に「遥かなる日ルネサンス」を「大型新人登場」という見出しとともに載せ、論壇デビューした。これは隔月で四回連載され、同

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    isdyy
    isdyy 2010/11/09
  • 猫を償うに猫をもってせよ - 一瀬陽子に刑事告訴されている

    京都府南警察署の大槻という刑事から電話があったのは、四月七日の午後のことだった。何ごとならんと思ったら、一瀬陽子という女が、私を脅迫罪で訴えたという。何でも、一年以上前の昨年1月12日に、一瀬が「2ちゃんねる」に私のことを書きこんだので私が怒り、「必ず復讐はします」とメールしたのであるが、一瀬はその時、「削除依頼を出した」と言って謝ってきたのだが、その「復讐をします」という片言隻句をとらえて脅迫だといっており、弁護士がついて告訴状を出してきたというのだ。 いや実に悪質な嫌がらせである。私は、脅迫罪というのは、殺すとか殴るとか、内容がなければならないし、五万円払わなければ何々するというもので、これはそのどちらの要件も満たしていない、そもそも警察で受理すべきものではない、と言ったが、大槻は「いや、それが、なると言うんですよ」と言う。その上大槻は、上京して私に事情を聞きたいと言うから、そんなもの

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    isdyy
    isdyy 2010/05/11
  • 今ごろ気づく私が間抜け - jun-jun1965の日記

    私が持田香織が好きなのは一部では知られているが、十年前に聴いた「Dear My Friend」って、女が結構嫌味に男を振っている歌だと今ごろ気づいているのは間抜けと言われても仕方ないだろう。トワ・エ・モワの「ある日突然」を失恋の歌だと思っていたのは誰だっけ。あれとちょうど逆で、長年友達だった男がモーションかけ始めたら女が「友達でいようよ」とかいう歌で、それを延々と、昔みたいないい関係に戻れたらいいねとか言ってあげく「もっとまっすぐな気持ち」とか、お前の恋情はまっすぐではないとか宣言して、そのくせ「best of my friends」とか何とか言うんだから、言われてるほうは嫌だよね、これは。

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    isdyy 2009/10/22
  • プライベート・モードの理由 - jun-jun1965の日記

    私がこのブログを初めてプライベート・モードにしたのは、一昨年9月28日、母が検査入院すると電話で聞いた時のことだった。攻撃的な内容も多いものを公開しておく気力を一気に失ったのである。 母の治療が始まり、希望が見えてきた時に公開に戻したが、その後再び悪化したと報せを聞くごとにプライベート・モードにしてきた。 しかし母はもう死んでしまったから、そういう理由でのプライベート・モードにはもうならない。 - http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/ 私はガンディーを崇拝などしていない。その理由は山際素男の『不可蝕民』や山際の訳した『アンベードカルの生涯』を読めば分かる。 また私は西洋の技術や精神を排斥しなければならない、とも思っていない。ただし、日には「シナ」を許さず、英国人には「チャイナ」を許すようなシナの姿勢は正すべきだと思っている。むろんそれは呼称だけの問題ではな

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    isdyy
    isdyy 2008/03/30
  • 「対談集」が減る - jun-jun1965の日記

    その昔、1987年だったか、まだ「ニューアカデミズム」の残光が十分残っていた頃、上野千鶴子対談集『接近遭遇』というが出た。すぐ買って読んで、おもしろかった。呉智英先生はこれを評して、上野が意外にいい人なのに驚く人もいるだろうが、私はもとからいい人だろうと思っていた、と書いていた。上野は、男と話をするのが好きだ、と言い、ここでは、吉隆明とか、別にフェミニズムに同意するわけではない人とも、忌憚なく、率直に語り合っていた。しかし、今の上野は、もうこういうは出さないだろう。自分が論破できる相手とか、自分の痛いところを突いてこない相手とか、あるいは単なる仲間との「対談」しか出さなくなった。 それに限らず、「対談集」は減った。昔は、柄谷行人対談集「ダイアローグ」なんて何冊も出ていたし、山口昌男とか岸田秀とか、よく対談を出したものだ。今は対談集ではなくて、香山リカと福田和也の悪名高いあれみたい

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    isdyy 2007/07/30
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